<米男子ゴルフ:マスターズ>◇2日目◇8日◇米ジョージア州オーガスタナショナルGC(7435ヤード、パー72)

 松山英樹(東北福祉大2年)の父幹男さん(56)も快挙を喜んだ。松山市内の自宅でテレビ観戦。「最後はヒヤヒヤでしたけど、本当によくやってくれた。決まった瞬間から、電話が鳴りっぱなしですよ」と声を弾ませた。

 幹男さんの最高ハンディは0を切ってプラス2。52歳の時に日本アマにも出場したほどの腕前。松山が4歳の時に自ら9番アイアンを改造して与えてから、指導に当たってきた。

 「とにかく素振りをさせました」。初めて自分のクラブを握って向かった練習場で、4歳にして1300球を打った「打ちたがり」の松山に、徹底して素振りを命じた。6つの角度から必ずビデオ撮影を行い、日々のスイングの変化を記録。「いつか原点に戻りたいと思った時にいつでも英樹が昔のスイングを見られるといいと思ったので」。現在も幹男さんのパソコンには、松山のゴルフ人生すべてのスイングが、全角度からの映像としてデータベース化されている。

 松山が中学1年の時、幹男さんの勤務していた会社が倒産。営業成績が良かった幹男さんは、残務整理の名目で1年間仕事に残れたが、新たな職探しが必要になった。指導に集中することはできないため、才能を高く評価していた明徳義塾中の高橋章雄監督に、松山を預けることを決断した。

 中学2年の春、家族で高知まで息子を送り、ゴルフ部の寮で別れた。幹男さんは「寮の部屋の窓から、私たちの車を見つめる英樹の、何とも言えない表情は忘れられない」という。それでも中学3年になるころには、ゴルフ部の「主」のようになった。高知まで出かけてスイングのビデオ記録を継続していた幹男さんは「高校2年までは部活の中に英樹がかなわない腕前の子もいた。でも結果的にはよかったのかもしれませんね」と振り返る。

 「先日もスイングのフォームのこと、パットのフォームのことで大げんかしましたよ。遼くんは素直にお父さんの言うこと聞いとるようやけど、どうしとんのやろうね」。幹男さんはそう苦笑するが、大げんかは松山が今でも父を、一番の相談相手と考えている証しでもある。マスターズ開幕後も、電話で密に連絡は取る。オーガスタと愛媛。地球半周離れても、親子の絆は変わらない。【塩畑大輔】