18年10月、日本対世界選抜 後半、トライを決めるCTBラファエレ・ティモシー
18年10月、日本対世界選抜 後半、トライを決めるCTBラファエレ・ティモシー

日本代表の「外国出身選手の物語」第3回は、CTBラファエレ・ティモシー(27=コカ・コーラ)。サモア出身でプロ選手を夢見て18歳で来日。15年ワールドカップ(W杯)イングランド大会での日本代表の活躍に刺激を受け、ここ3年で急成長した。潜在力を秘めた大器に迫った。

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今や日本代表に欠かせないキーマンだ。左足から放たれる正確なキック。相手をかわす、柔らかいステップ。規律を守った激しい防御も兼ね備えた抜群の安定感を誇る。ラファエレは「W杯日本大会はラグビー人生の中で『特別な舞台』になる。チャンスをくれた日本に恩返しがしたい」と、期待に胸を膨らませた。

4歳の時、家族でニュージーランド(NZ)へ移住。6歳で競技を始めた。細い体でタックルを怖がり、父からは「ビビるならラグビーをする資格はない」と口酸っぱく言われた。体が成長するにつれて自信もつき、強豪のデラセラ高に進学。日本代表NO8のツイ・ヘンドリックも在籍し、全国優勝を果たした。山梨学院大(関東リーグ2部)の吉田浩二監督にスカウトされ、「トップリーグ入り」を夢見て来日を決意。大都会のイメージとは異なり、「めっちゃ田舎」という山に囲まれた地で修行の日々が続いた。毎朝6時からランニング10キロ、授業の合間のキック練習、夕方の全体練習に臨んだ。4年時には1部への昇格に大きく貢献した。コカ・コーラの向井昭吾GM(当時)に「努力次第で日本代表になれる」と誘われて、加入した。

13年12月、関東大学リーグで11年ぶりの1部昇格を決めたラファエレ・ティモシー(前列右)擁する山梨学院大の選手たち
13年12月、関東大学リーグで11年ぶりの1部昇格を決めたラファエレ・ティモシー(前列右)擁する山梨学院大の選手たち

転機は15年W杯だった。日本代表が優勝候補の南アフリカから大金星を挙げるなどした活躍に奮起した。「僕もあの舞台に立つ。ツイ先輩みたいになる」。翌16年1月に目標設定としてノート裏表紙に「日本代表になる」と決意を記した。己の可能性を信じ、毎日、その言葉を見返して、極限まで追い込んだ。チームが契約していたNZ代表のニック・ギルS&Cコーチから“王国メニュー”を作成してもらった。練習後、決められたウエートとシャトルランを反復し、10カ月で土台を完成させた。体重は7キロ増の98キロとなり、才能が一気に開花した。ジョセフ新体制となった同11月のアルゼンチン戦で代表デビュー。これまで、アジア選手権を除く全16試合で14試合に出場し、指揮官からの信頼も厚い。

子供の頃はサモア代表を目指したが、桜のジャージーを着る度に日本代表としての自覚が増した。「日本人としてプレーしたい」。17年10月に日本国籍を取得。日本語も堪能で、代表では外国出身選手の通訳も担い、潤滑油となっている。W杯1次リーグでは母国のサモアと対戦する。「(目標の)8強進出には越えないといけない壁。母国に勝って、日本代表としての誇りを見せたい」。27歳の大器は、強い決意を胸に8カ月後の夢舞台に臨む。【峯岸佑樹】

◆ラファエレ・ティモシー 1991年8月19日、サモア生まれ。4歳からNZで育ち、18歳で来日。山梨学院大-コカ・コーラ。16年11月に代表デビュー。代表キャップ14。17年に日本国籍取得。趣味は愛犬と遊ぶ。イケメンで女性人気も高い。愛称はティム。家族は妻。186センチ、98キロ。

ジョージア戦で相手を振り払いながら突進するCTBラファエレ・ティモシー(2018年6月23日撮影)
ジョージア戦で相手を振り払いながら突進するCTBラファエレ・ティモシー(2018年6月23日撮影)