ラグビー解説者・村上晃一氏(54)が、過去のワールドカップ(W杯)の名勝負、名シーンを紹介するシリーズ第3回は「南アフリカのスポーツ史に残る優勝」です。

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1995年、南アフリカで開催された第3回W杯は、世界のスポーツ史に深く刻まれる歴史的大会となった。南アフリカは「伝説のラグビー大国」と呼ばれていた。その代表チームであるスプリングボクス(愛称)は、1900年初頭から世界のラグビーをリードし、ニュージーランド代表オールブラックスとはライバル関係にあり、当時、対戦成績でオールブラックスに勝ち越す唯一のチームだった。

しかし、南アフリカはアパルトヘイト(人種隔離政策)を批判され国際制裁を受けることになる。85年には国連で採択された「スポーツにおける反アパルトヘイト国際条約」により国際交流を禁止された。当然ながら、87年、91年W杯には出場できなかった。

筆者は91年大会の会場で「WE ARE THE CHAMPIONS」と書かれた横断幕を持って行進する南アフリカ人たちを見ている。

真の世界一決定戦の開催はラグビー界の悲願だった。95年はアパルトヘイトが撤廃され、南アフリカで初開催のラグビーW杯に、スプリングボクスが初出場するという奇跡のような大会となったのだ。

大会が特別だったのは他にも理由がある。94年、黒人初の大統領に就任したネルソン・マンデラは、政治犯として27年間収監されながら、白人たちに報復をしなかった。それどころか、ラグビーW杯で人種融合を推進しようと、全力で応援したのである。

南アフリカの人々にとって、ラグビーは裕福な白人のスポーツだった。その象徴でもあったスプリングボクスのジャージーをマンデラ大統領は身にまとった。そして、優しい笑顔で白人選手に語りかけたのだ。国民の多数を占める黒人たちへの影響力は計り知れない。

スローガンは「ワンチーム、ワンカントリー」。スプリングボクスは屈強な肉体を武器に順当に勝ち進んだ。非白人であるWTBチェスター・ウィリアムズの快走は国民を熱狂させた。しかし、ゆく手を阻もうとするチームがあった。宿命のライバル、オールブラックスである。トライゲッターは、196センチ、120キロの巨漢で100メートルを10秒台で走る怪物WTBジョナ・ロムーだ。準決勝では、イングランド代表のタックラーを次々にはじき飛ばすトライをあげている。ロムーを止めなくては優勝できない。スプリングボクスの選手たちは悲壮な覚悟で決勝戦に臨んだ。

6月24日、ヨハネスブルクのエリスパークで行われた決勝戦は死闘になった。スプリングボクスはロムーを徹底マーク。低く鋭いタックルで止め続けた。前後半80分を終え、9-9の同点。試合は史上初の延長戦となり、SOジョエル・ストランスキーのドロップゴールによってスプリングボクスが勝ち、初出場初優勝の快挙を成し遂げた。

「4000万人の国民が後押ししてくれた」。フランソワ・ピナール主将は全国民の勝利を強調した。人種の垣根を越えた歓喜が広がった。奇跡の実話は後に「インビクタス」という映画で描かれることになる。

この大会によって人種問題が解決したわけではない。しかし、スポーツが持つ力を証明した点で、この大会は、ラグビーW杯史の中でもひときわ輝いている。

◆村上晃一(むらかみ・こういち)1965年(昭40)3月1日、京都市生まれ。10歳でラグビーを始め、京都・鴨沂高、大体大でプレー。現役時代のポジションはCTB、FB。卒業後にベースボール・マガジン社に入社し「ラグビーマガジン」編集長などを歴任。98年に退社し、その後はフリーとして活動。