そろばんが日本とトンガを結んで40年。留学生のパイオニアとなった元日本代表のノフォムリ・タウモエフォラウ、シナリ・ラトゥらの活躍により、トンガからの留学生は今も継続している。ワールドカップ(W杯)に日本代表として出場し、日本国籍を取得して、日本のために尽力する選手もいる。先人の思いを大事にして、トンガ出身選手は日本ラグビー界に根付いていった。

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先駆者の活躍のおかげで、トンガからの留学生が今も途絶えない。彼らは日本で成長し、過去のW杯8大会中6大会で、日本代表に名を連ねた。トンガからの留学生を日本で初めて受け入れた、元大東大監督の鏡保幸氏は「ノフォムリもラトゥも後輩への面倒見はよかったし、先輩の教えもちゃんと聞いてたね。だから日本と合ってたんだろうね」と振り返る。日本以上に年上を敬うトンガの文化が、日本とうまく融合した。

元日本代表のホラニ龍コリニアシはもともと、伯父のノフォムリに誘われて留学してきた。トンガでラグビー経験はなく、吹奏楽部でトロンボーンを吹いていた。そんなある時、日本にいた伯父から声を掛けられた。「憧れの人。いつかはああなりたいと思っていた」と留学を決意。日本での努力が実り、W杯11、15年大会に出場。「やっと追いつけた」と笑顔を見せる。

元大東大ラグビー部監督の鏡保幸氏
元大東大ラグビー部監督の鏡保幸氏

W杯11年大会に出場したタウファ統悦の、日本留学のきっかけは父の言葉だった。日大から誘われた時、トンガの強化指定選手として南アフリカへ留学する予定だったが「南アフリカに行きたい気持ちは分かる。でも安全じゃない。安全な日本に行きなさい」と勧められた。親の意思を尊重するのもトンガ人の性格。迷わず日本を選択した。

来日すると日本の生活、日本人の温かさに触れ、愛着がわいた。現在2人は日本国籍を取得し、日本で生活している。ホラニはトップリーグのパナソニックでFWコーチを、タウファはトップチャレンジリーグの近鉄ライナーズのチームアンバサダーを務めている。2人とも「日本に恩返ししたい」と口をそろえる。

留学生のパイオニアとなったノフォムリは、埼玉工大ラグビー部のシニアアドバイザーとして活動中。トンガへ足を運び、有望な選手を勧誘している。大東大入学後、W杯95年大会に出場したロペティ・オトは、トヨタ自動車で働きながら、愛知・春日丘ラグビー部のコーチを務めている。日本に留学し、日本ラグビーで育ったトンガ出身選手が、日本ラグビー界に貢献している。

先人たちが築き上げたものを、現役選手はしっかりと受け継いでいる。日本代表のバル・アサエリ愛は「みんな日本に行きたいと思っている」と言い、中島イシレリは「頑張らないとチャンスがなくなる。道が切れたらそれで終わり」と後輩へ道筋をつけることも意識している。

トンガ出身選手は今や助っ人ではなく、日本にとけ込み、わかり合い、支え合う仲間になった。彼らの存在は間違いなく、W杯日本大会での勝利の鍵になる。【佐々木隆史】