<全国高校軟式野球:中京0-0崇徳>◇30日◇準決勝◇明石トーカロ

 球史に残る激闘は、3日がかりでも決着がつかなかった。第59回全国高校軟式野球選手権大会準決勝の中京(岐阜)-崇徳(広島)戦が、延長45回を終えてサスペンデッドゲーム(一時停止試合)となった。28日から両軍とも3日連続15イニング戦っても無得点。4日目となる今日31日、午前9時から延長46回を始め、最長9イニング(延長54回)で決着がつかなければ、勝敗は抽選で決する。

 疲れきってうつむいたままベンチに戻ろうとした中京のエース松井は、穏やかな広島弁に顔を上げた。「またじゃけど、次もよろしく」。45回を終えての整列直後。投げ合った崇徳・石岡がほほえんでいた。

 ともに28日の初回から投げ、松井が打者161人に635球、石岡が164人に617球。相手をゼロに抑えて味方の援護を待ち続けた。「こちらこそ、よろしくな」。松井も笑い返した。

 46年の全日本軟式野球連盟発足以来、過去の最長は45回。今日31日、試合は未知の領域に入る。決着寸前の場面はあった。31回表、中京が2死一、二塁の好機を迎えるも、石岡が相手4番を空振り三振。崇徳は34回に先頭の島川が三塁打。無死三塁のサヨナラ機を迎えた。

 次打者を三塁ゴロに抑え、続く高瀬の初球。バッテリーはスクイズを警戒し、外に外した。「むこうの足がいやだった。バットに当てさせたくなかった」(中京・西山)。カウント2-1からの4球目、スクイズを狙ったバットは空振り。5球目を投げようと足を上げた松井は、味方の「(走者が)逃げた!」の絶叫を聞いた。とっさに外角に外し、ランエンドヒットを狙った打者は空振り三振。本塁に走った三塁走者は捕手のタッチをかいくぐろうとして走路を外れ「ラインアウト」でスリーアウト。堅守がチームを救った。

 松井は前日の試合後から腰痛に苦しむ。はり、電気治療を受けて登板も、船坂武士トレーナー(29)は「1回1回祈る思いでした」と明かした。それでも試合後、松井は「明日も投げて優勝して、監督を胴上げしたい」と言った。その言葉を聞いた平中亮太監督(33)は「立っているのさえやっとでしょうに」と泣いた。

 大規模土砂災害に見舞われた広島のためにも、と崇徳も力を振り絞る。背番号6で投手兼任の石岡は志願登板だった。「しんどいけど楽しかった」と言えるタフさがまだ残る。どちらが先に点を奪うのか。互いに気力を頼りに、史上最長試合に臨む。【堀まどか】

 ◆日本最長試合

 全日本軟式野球連盟によると、軟式では83年9月20日の天皇賜杯全日本軟式野球大会決勝で記録された延長45回、8時間19分が最長。ライト工業(東京)が田中病院(宮崎)を2-1で下した。

 ◆主な投球数

 83年天皇賜杯全日本軟式大会決勝で延長45回の末、ライト工業に敗れた田中病院の池内雄一郎(PL学園出)は1人で522球を投げた。33年夏の甲子園準決勝では中京商・吉田正男が明石中戦で25回336球。プロ野球最多は米川泰夫(東映)が54年10月10日近鉄戦で記録した264球(延長22回)。