メジャーリーグの専門テレビ局・MLBネットワークが、メッツのテリー・コリンズ監督のドキュメンタリー番組を放送した。同監督の野球人生を本人や関係者のインタビューと古い映像を交えてたどる構成で、米東部時間の火曜夜9時から1時間というゴールデンタイムの放送だった。コリンズ監督といえば07年から08年途中までオリックスを指揮していた当時はあまり評価されなかったが、メッツを昨季ワールドシリーズに導き、今ではすっかり「時の人」だ。

 そのドキュメンタリーが、非常に評判が良かった。人生山あり谷ありというが、コリンズ監督の場合は谷ばかりの人生で、ついうるっときてしまう。それは少年時代にまでさかのぼるのだが、子供の頃から常に全力で野球をしていたコリンズ少年は、あるとき友達のお母さんから「ウチの子をコリンズさんの息子と一緒にプレーさせたくない」と言われたのだという。悔しい経験はそこから始まった。

 71年にパイレーツに入団しプロで10年間プレーしたが、メジャー昇格は1度もなし。現役引退後はメジャーの監督になることを目指して指導者の道に進んだが、そこでもやはり挫折が待っていた。81年にドジャース傘下マイナーで監督を務めたが、マイナーの監督の中で自分だけメジャーのキャンプに呼ばれず、悔しい思いをしたという。93年についにアストロズでメジャー監督の夢を実現したが、3年目で解任。97~99年にはエンゼルスの監督を務めたが、期待通りの成績が残せず辞任に追い込まれた。このときの会見の映像が番組で紹介されているのだが「必死にやってきたが、うまくいかなかった。今が身を引くとき」と言葉を詰まらせながら涙ながらに語っている。このとき周囲からは「コリンズは監督をやるには熱血漢過ぎる」といわれ、自身もメジャーで監督をやれるのはこれが最後だと諦めの境地だったという。

 それから16年、プロの世界に入ってからは実に44年目にして、メジャーの監督としてワールドシリーズという最高峰の舞台に立った。苦節44年の人生はまさにドラマチック。日本では戦力外通告を受けた選手のドキュメンタリーが人気だが、米国では今、監督ドキュメンタリーの人気が高まっているそうだ。

【水次祥子】(ニッカンスポーツ・コム/MLBコラム「書かなかった取材ノート」)