米球界5年目で念願のメジャーデビューを果たした、インディアンス村田透投手(30)が、黒星にもすがすがしい表情を浮かべた。オリオールズとのダブルヘッダー第2試合に先発で初登板を果たし、3回1/3を4安打5失点(自責点3)。ただ、目指し続けたメジャーのマウンドは格別だった。「正直、初球を投げる前、感極まるものはありました」。日米プロ通算8年目。東京ドームで果たせなかった目標を、米国で、敵地ボルティモアでかなえた。

 大体大から07年大学・社会人ドラフト1巡目で巨人入りしたが、在籍3年間で1軍登板はなかった。10年オフに「構想外」を告げられた。冷静に現実を受け入れる一方、悔しさと不完全燃焼の思いは消えなかった。野球をやめる選択肢など浮かばなかった。通告翌日も、いつもと同じように練習を続けた。約1カ月後、12球団合同トライアウトを受けた際、イ軍のスカウトからオファーを受けた。米国行きの決断に、さほど時間はかからなかった。高額条件でメジャー入りする選手とは違い、通訳もつかず何の保証もない。それでも、マウンドに立つためであれば、マイナーでの生活にも抵抗は感じなかった。

 4回に2本のソロを浴びた一方、1、3回は3者凡退に退けるなど、確かな手応えも感じた。試合後はフランコナ監督から握手を求められ、球団からメジャー初球、初奪三振球、公式スタメン表をもらった。「自分でもここに立てたのはビックリしてます。でも、やってきて良かったなと思います」。試合後には再びマイナー行きとなったが、感激を胸に再昇格を誓った。(ボルティモア=四竈衛)

 ◆村田透(むらた・とおる)1985年(昭60)5月20日、大阪・熊取町生まれ。大体大浪商では2年春の甲子園に出場し、開幕戦で二松学舎大付に完投勝ち。2回戦の鳴門工戦で敗退。大体大では3年時に大学選手権優勝でMVP。07年大学・社会人ドラフト1巡目で巨人に入団した。3年間で1軍登板なく、10年限りで戦力外に。同年12月にインディアンスとマイナー契約を結んだ。183センチ、79キロ。右投げ左打ち。

<大リーグデビューメモ>

 ▼村田の大リーグデビューで日本人大リーガーは通算53人目(投手39人、野手14人)。日本人のデビューは95年野茂(ドジャース)から21年連続となった。投手39人のうち、デビュー戦で先発は15人目。黒星は97年長谷川(エンゼルス)99年大家(レッドソックス)04年大塚(パドレス=救援)09年田沢(レッドソックス=救援)10年高橋尚(メッツ=救援)に次いで6人目。

 ▼日本のプロ1軍出場なしで大リーグデビューしたのは、プロを経ずに渡米したマック鈴木、多田野、田沢を除くと村田が史上初。また、日本で戦力外通告を受けてからメジャーデビューしたのは02年野村(ブルワーズ)以来2人目。