伝説のトルネードが米殿堂入りに手をかけた。全米野球記者協会は26日(日本時間27日)、14年の米国野球殿堂入り選手の候補者36人を発表し、ドジャースなどでメジャー通算123勝を挙げた野茂英雄氏(45)が、日本選手として初めて選ばれた。結果は来年1月8日(同9日)に発表される。95年にドジャース入りし、日本選手がメジャーに挑戦する先駆けとなった功績がどう評価されるか注目が集まる。また、日本の殿堂入り候補も近日中に発表される予定で、そこでも有力候補となっている。

 記録ではない。鮮烈な記憶と、踏み出した第1歩の強さが、野茂氏を日本選手初の米野球殿堂入り候補に押し上げた。95年にドジャース入りし、独特の「トルネード投法」で旋風を巻き起こした。その後に続いたイチロー、松井、松坂、ダルビッシュ…。日本選手がメジャーに挑戦する先駆者となった、圧倒的な功績が認められた証しだった。

 殿堂入りへ記録基準はないものの、投手は300勝、打者は500本塁打などが目安とされている。競技発展への貢献度も評価の対象となる。黒人初の大リーガーとなった故ジャッキー・ロビンソンは通算1518安打、137本塁打で選出された。同選手が背負った背番号42は、メジャー全球団の永久欠番になっているほどだ。野茂氏に投票するという米メディアの記者は「今日のアジアへの広がりは、野茂英雄抜きには考えられない」と評価。日本選手のパイオニアが、伝説の背番号42に近づく評価を得る可能性もある。

 格式ある、狭き門に違いはない。米メディアは新たに候補者入りした通算355勝のグレグ・マダックス氏をトップで報じ、同305勝のトム・グラビン氏や521本塁打のフランク・トーマス氏らが続いた。野茂氏はそれほど大きく扱われていない。選ばれるのは例年1人か2人。全米野球記者協会に在籍して10年以上の記者による投票(最多で10人連記)で75%以上の票を得れば殿堂入りとなるが、ハードルは高い。投票権を持つある記者は「有力候補が多いので、10人書いたとしても(野茂氏は)その中に入らない」と明かした。

 だが、候補者資格を得た初年度から名を連ねた。メジャーで10年以上プレーし、引退後5年経過した選手に資格があり、15年間候補として名を連ねることができる。殿堂入りの発表は来年1月8日(日本時間9日)。野茂氏が米殿堂でも、日本のパイオニアになる。

 ◆野茂英雄(のも・ひでお)1968年(昭43)8月31日、大阪市生まれ。成城工-新日鉄堺。89年ドラフト1位で近鉄入団。90~93年まで4年連続最多勝。95年ドジャース入しナ・リーグ新人王。96、01年にノーヒットノーラン達成(両リーグ達成は史上4人目)。08年7月引退。引退時188センチ、104キロ。右投げ右打ち。

 ◆米国殿堂入り条件

 野球の発展に携わった人をたたえるために「Hall

 of

 Fame」として創設。36年にタイ・カッブ、ベーブ・ルースら5人が初めて殿堂入りした。原則として大リーグで10年以上プレーし、引退後5年が経過した選手が候補となる。最長で15年間、候補となるが、得票率が5%未満の場合は翌年から資格を失う。また、これとは別に元選手らで構成されるベテランズ委員会の選出があり、投票で漏れた選手、指導者、審判員、経営者らが対象となる。

 ◆米国出身以外の米野球殿堂表彰者

 現在300人が殿堂入りしているが、米国以外の出身は、野球貢献者や審判員を含め過去12人。1938年に野球の記録方法や成績の統計手法を考案し「野球の父」と呼ばれた英国出身ヘンリー・チャドウィックが貢献者として受賞。73年にはプエルトリコ出身で慈善活動に積極的なロベルト・クレメンテが受賞。出身国別だとキューバとプエルトリコが3人、英国2人、ドミニカ共和国、ベネズエラ、パナマ、カナダが1人で、野茂氏が選ばれればアジア初。