森がまた伝説を作った。全パの西武森友哉捕手(19)が87年清原以来、史上2人目となる10代でのオールスター本塁打を記録した。6回1死一塁で代打で登場し、中日大野から豪快な1発を右翼席にたたき込んだ。試合前から快挙へ「並べるチャンスがあれば挑戦したい」と堂々と宣言。持ち味のフルスイングを存分に発揮し、達成した。初出場にして10代最後の祭典で敢闘賞に輝き、今後の活躍へ夢がモリモリ膨らむ。

 19歳がぶちかました。6回1死一塁。セ・リーグ最高左腕の中日大野を餌食にした。試合前の「初球から120%の力で振りたい」との予告通り。真ん中高めの148キロ直球をフルスイングで完璧に捉えた。前夜は大阪桐蔭時代のパートナーだった阪神藤浪に「通天閣打法」の東京ドーム天井直撃打に倒れていたが、この日は真上ではなく、一直線に右翼席に飛び込んだ。清原以来となる10代選手の球宴本塁打が誕生した瞬間。まばゆいカクテル光線が、感嘆と興奮が交錯する大歓声が、170センチの小さな背中に降り注いだ。

 球宴前に清原の記録を聞かされていた。「自分にもチャンスがあることが、ありがたいなと。ぜひ挑戦したい」。シーズン中はヒット狙いのフルスイングだが、球宴仕様は純粋に1発狙いの強振だ。見た目は変わらないが「気持ちの部分で違いますかね」と自ら縛りを解放する。照準を定めた快挙に並んだ。

 見る者に衝撃を与え続ける。だから史上最年少で最多得票で選出された。一方で、プロ入り後、森自身が実力差に絶望に陥るまでの衝撃を受けたことはない。交流戦中、西武と対戦した巨人ベンチで話題になった。「なぜ森は打てるのか?」。坂本が仮説を唱えた。「何千、何万球と藤浪の球を受けてきた。だからプロに入っても驚くことが少なかったのでは。僕もマーくん(現ヤンキース)の球を見ていたから基準になって、そんなにビックリすることはなかった」。同世代論を伝え聞き、森も同調した。「それは少なからずあると思います。藤浪さんの球は、それだけすごかったですから」。すべての経験がプロで生き抜くための血となり肉となっている。

 帰りの通路。藤浪と出くわし、祝福の言葉を掛けられた。「ナイスホームラン」「ありがとう」「どうやったん?」「ちょい詰まりや。それほど飛んでいけんかったわ」。成長を確認し合うように、シンプルな言葉を重ねた。

 大いなる経験を積んだ球宴だった。「今は頭がグチャグチャしているからホテルに帰って、ゆっくり整理して寝たい。楽しかった。いろんな選手のバッティングを近くで見られた。自分の中で得たものがある」。祭りでの伝説は通過点にすぎない。【広重竜太郎】

 ▼19歳11カ月の森が代打本塁打。球宴で10代選手のアーチは、86年第2戦に18歳11カ月、87年第3戦に19歳11カ月で打った清原(西武)以来28年ぶり2人、3本目。87年清原は、セ前半戦最多勝(12勝)の桑田(巨人)からの一発。森もトップ9勝の大野から打った。代打本塁打は10年第1戦の山崎(楽天)以来34人、37本目。これまでの最年少代打アーチは80年第1戦岡田(阪神)の22歳7カ月。10代で打ったのは森が初めて。