ミスターの思い出の地に、「長嶋ロード」と呼ばれる初夢プランが浮上した!

 巨人長嶋茂雄終身名誉監督(78)が現役時代に自主トレを行った静岡・伊豆の国市にある旧大仁町の道路が「長嶋茂雄ロード(仮称)」と命名される計画があることが30日、分かった。関係者の話を総合すると、同市が市内道路の愛称を公募。旧大仁町の地元から長嶋氏の名前を願う応募があり、最終候補の1つに残った。

 「長嶋ロード」誕生の機運が高まってきた。2年前にも地元の衆議院議員が長嶋氏と会談し命名を要望するなど、実現を期待する声は根強かった。今回は旧大仁町が合併してできた伊豆の国市が9月に、「市内の道路愛称」を募集。応募のあった路線の中から最終候補10路線が選定され、うち1つが地元関係者のエントリーによる「長嶋ロード」だった。今後は来年1月に、公募による「道路愛称委員」による検討を経て選出されれば、同3月に正式決定する予定だ。

 ミスターと旧大仁町の縁は深い。現役時代の67年から引退する前年の73年まで、7年間を自主トレ地に構えた。「自然に恵まれていて、静かなのがいい。1年間の反省などで、心を洗い流した」と語るほど気に入った。

 近隣にそびえる城山(じょうやま)は格好のランニングコースだった。うっそうとした木々とゴツゴツした岩に覆われた山道があり、朝1時間、午後2時間の山越え走を課した。宿泊先は「大仁温泉ホテル」(現大仁ホテル)が定宿。部屋も富士山を正面に見る「富士の間」と決まっていた。部屋にはケージを張って打撃練習、素振りを繰り返した。打ち損じて柱を傷つけたボールの跡は今も残されている。練習後は富士の間にある内湯で疲れを癒やした。ボールを使った実技よりも、土台作りを主としたまさに絶好の鍛錬の場になっていた。

 ミスターにあこがれ、今も同地を訪れるファンは多い。昨年5月に国民栄誉賞を受賞し、出身地の千葉・佐倉市の球場が後に「長嶋茂雄記念岩名球場」と名称変更されるなど、「長嶋」の冠がつく場所も増えてきた。旧大仁町に「長嶋茂雄ロード」が誕生すれば、ミスターの足跡を、また多くの人々が触れることができる。

 ◆長嶋氏の大仁トレ

 67年から73年まで。山越えランニングを中心に大仁神社の階段上り、素振り、短距離ダッシュなどを繰り返した。71年から淡河ブルペン捕手を同行。西武時代の清原、松坂(現ソフトバンク)も自主トレで同じホテルの「富士の間」を使用した。<主な野球「道」>

 ◆落合ロード

 中日落合が88~90年に自主トレで使用した長野・阿智村の山道を命名。90年8月に「第1回落合ロード健康マラソン」が開催された。

 ◆ベイスターズ通り

 横浜が優勝した98年、横浜スタジアム付近の関内仲通りを改称。選手の手形付き記念碑が設立された。

 ◆巨人への道

 最寄り駅からジャイアンツ球場への遊歩道を01年3月に命名。長嶋監督(当時)直筆の題字をもとにした石碑あり。

 ◆バレンタイン通り

 05年ロッテの優勝を記念し、パレードを行った千葉市の富士見通りを改称。新たな道路看板を34カ所に設置。

 ◆メジャー

 通算417勝ウォルター・ジョンソンは米国内3カ所に名前入り道路がある。テキサス州の高速道路「ノーラン・ライアン・エクスプレス」は球速と同じ時速160キロまで走行可能という。

 ◆桑田ロード

 95年に右肘を手術した巨人桑田が、ジャイアンツ球場の外野芝生を毎日25往復走った。道のように芝生がはげ「桑田ロード」と呼ばれた。