安全保障関連法案の参議院での本格的審議が始まって、約2週間が経過した。衆議院では、実質的な審議が始まった翌日、安倍晋三首相の辻元清美議員への「早く質問しろよ」というやじが起き、審議が混乱。本丸の法案審議というより、「場外」のトラブルから混乱が始まったように思う。

 そして参議院。今も同じ流れになっている。礒崎陽輔首相補佐官が講演で、法的安定性を軽視したと取られかねない発言が問題になり、ツイッターで、学生団体による法案反対集会を「利己的個人主義」と批判した武藤貴也議員の発言を、野党が批判。12年7月のブログに、日本国憲法の基本3原則を「日本の精神を破壊する」と記していたことも分かり、大きな波紋が広がった。

 礒崎氏の発言は講演でのものだが、その後、ツイッターなどで持論を展開、釈明も行った。武藤議員の発信も、ツイッターやブログ。SNSは便利な手段だが、さまざまな考えを持つ多くの人の目に触れるからこそ、書き方や書く時期も含めて、慎重にならなければならないのではないか。

 今回、違和感を覚えたのは、「釈明」もツイッターやフェイスブックで行われたこと。武藤議員は発言が問題になった直後、ツイッターでは文字数が限られると断り、ブログに自身の主張を長文でつづった。

 公の場で発言できる機会は、もちろん限られている。SNSは自分の都合で発信できるし、内容も自由。ただ、もともとの発言が問題になっている時、さらに多くの人の目に触れる形のSNSで持論を発信すれば、内容によっては火に油を注ぐ形になる恐れがある。

 私が記者に配属されたころ、ネットも携帯電話も今ほど発達しておらず、取材対象者の話を聞く場合は、本人をつかまえるしかなかった。最近は、政治家もブログやツイッター、フェイスブック、動画、メールマガジンで、活動報告や主義主張を発信する時代だ。

 今、何を考えているのか簡単に発信できるが、受け手側にストレートに伝わるだけに、発信する内容の「センス」が問われるようになっていると思う。

 政治を伝える上で、今や欠かせない存在になった「ニコニコ動画」の幹部に、ネット選挙が解禁された13年参院選を前に取材した際、ネットと政治の関係についてこんな話を聞いた。

 「昔、選挙でテレビ、ラジオ、新聞を使おうという声が出た時、相手の目を見て主張を理解してもらう時代に比べれば、何事だという声があったと思う。ネット解禁で、ネットが以前のテレビ、ラジオ、新聞と似たような立場になる」

 「ネットは『空中戦(浮動票対策)』のイメージがあるが、メールでは1人1人との会話が成り立つ。どぶ板活動に置き換えることもできるのではないか」。

 ネットの空間は、不特定多数に、手軽に発信することが可能だ。でも、現実には、画面の向こうにいる、さまざまな考えを持った「1人1人」が、その声を受け止めているということを忘れてはならないと思う。