安倍第3次改造内閣が発足して3週間が経過したが、早くも複数の新閣僚のスキャンダルが報じられている。発足前の内閣では、新国立競技場建設問題の責任を指摘されて「引責退任」した下村博文文科相が、長く矢面に立たされ続けた。その後任に、馳浩氏(54)が初入閣で就任した。

 ロス五輪男子レスリングに出場した経験を持つオリンピアンで、元人気プロレスラー。そんな経歴もあって、スポーツ紙的にも、注目しないわけにはいかない人物だ。

 馳氏は入閣まで自民党広報本部長を務め、選挙ポスターの発表など、党の広報戦略の「表舞台」で活動していた。広報本部長に就任する前は、20年東京五輪・パラリンピックの招致推進本部本部長(招致決定後は大会実施本部本部長)を務めていた。馳氏はここでは、招致獲得をめぐる「裏舞台」ともいえる水面下の交渉にも出向いていた。

 それを知ったのは昨年夏、日刊スポーツの五輪特集面(毎週水曜日掲載)の取材で、馳氏にインタビューした時だ。「終わったから話せますが」と言って、招致活動の緊迫した票獲得合戦の一端に言及した。

 20年大会には東京、マドリード、イスタンブールが最終選考に残った。当初、東京が選ばれる確証はなかった。招致決定直前の日々の票読みは、「(白と黒が入れ替わる)オセロのようだった」と振り返った。13年9月、開催都市が決まる国際オリンピック委員会(IOC)総会が開かれる前は、関係者と毎晩、票読みを繰り返した。投票に関する情報が、匿名で寄せられたりすることもあったという。

 意中の人物の投票行動を探るため、森喜朗元首相に「馳、今からすぐにリオデジャネイロに行け」と言われて、現地に向かったことも。現地で関係者をつかまえながら、水面下で実際に票がどう動いているのか探り続け、「最後の数日間で、劇的に票が動いたというのは分かった」とも振り返った。

 「招致のルールにのっとった上での、アプローチだった」としながらも、「やっぱり、直接会って話さないとだめだと思った。通訳を挟まない、というのが基本」という。プロレスラー時代の人脈も生かしながら、キーマンに当たっていく作業を繰り返した。

 20年東京五輪・パラリンピックの招致で繰り広げられた水面下の票獲得合戦は、相手との腹の探り合いも含めた、地道な作業の繰り返し。「五輪選手、プロレスラー、そして国会議員として20年というキャリアは、この(招致の)仕事をするために重ねてきたのかなと思った」と冷静に振り返る姿に、学生時代に見たプロレス時代の豪快なキャラとして残っていた印象が、180度変わったことは言うまでもない。