岸田文雄首相(22年7月撮影)
岸田文雄首相(22年7月撮影)

岸田首相が、自身の長男翔太郎氏(31)を首相秘書官にしたことが、大きな波紋を広げている。永田町では「ナイスガイ」(自民党関係者)で知られ、「これまでのところ、悪いうわさは耳にしたことはない。総裁選の時も家族とともにお父さんを支えていた。支持率が下がっている中でもあり、一種の『精神安定剤』でもあるのだろうか」(同)と、首相の胸の内を推しはかる声を聞いた。

翔太郎氏は普段から公邸で首相とともに生活している。自民党総裁選のころには、議員宿舎でいっしょに父親と食事をする様子が、テレビの密着企画でも放送された。商社勤務から父の秘書に転じたということは、もともと「ゆくゆくは政治家」という目的があってのことなのだろう。要は、政治家になるための「見習い修行」を、首相は自身の在任中に息子に行わせる形にもなる。またとない機会ではあるだろうが、やはり「公私混同」という批判が出ても仕方がないと感じる。野党関係者は「リアル世襲劇場だ」と批判する。

岸田首相は「政権発足から1年という節目をとらえ、適材適所の観点から総合的に判断した」と、翔太郎氏の就任理由について繰り返している。そもそも首相秘書官は、国のトップをサポートする「プロ」の立場だ。首相の日程管理や国会答弁の準備を行い、専門知識を生かした助言もしなくてはならない。「政務」担当と「事務」担当に分かれており、岸田官邸の首相秘書官は現在、翔太郎氏を含めて8人だ。

事務担当の秘書官は、将来事務次官就任も見込まれる官僚たちが、各省庁から集う。一方で、翔太郎氏が就任した「政務」担当の秘書官は、秘書官全体のまとめ役、番頭格だ。「政務」の首相秘書はこれまで、国会議員時代の秘書を起用するケースも多かったが、第2次安倍政権では安倍晋三氏の「懐刀」と呼ばれた経産省出身の今井尚哉氏が就き、辣腕(らつわん)を振るった。岸田政権では、岸田氏と同じ開成高校の後輩で、経産省の事務次官まで務めた嶋田隆氏が務めている。翔太郎氏は、形としては元事務次官経験者の嶋田氏と同じ立場になるのだ。

そのため、批判される理由の1つが「経験不足」だ。親族を秘書にする国会議員は多いし、子どもを秘書官にした首相もいる。福田康夫首相は、長男の福田達夫衆院議員(自民党前総務会長)を首相秘書官にした。達夫氏も商社勤務を経て秘書になったが、首相秘書官になったのは40歳のころで社会経験も十分積んでいた。現在31歳の翔太郎氏に、重職が務まるのかという不安だ。

というのも、首相秘書官は、普通の国会議員の秘書とは異なり、首相官邸という権力の館で、24時間戦い続ける首相を支え、時には防波堤にもならなくてはならない。今井氏のように、ときに主を超える存在感を示すこともある。「主を超える存在感」という観点では、5年5カ月にわたった小泉純一郎政権で、秘書時代から小泉氏を支えた飯島勲氏(現内閣官房参与)も、政務秘書官として各省庁から集った秘書官を「チーム小泉」としてまとめ上げ、長期政権に大きな役割を果たした。

小泉内閣で首相秘書官を務めた飯島勲・内閣官房参与
小泉内閣で首相秘書官を務めた飯島勲・内閣官房参与

「存在感」を表現する観点では、帝政ロシア時代に皇帝とともに大きな力を持った人物の名前をもじって、飯島氏や今井氏は「官邸のラスプーチン」と呼ばれた。また、橋本龍太郎内閣で政務担当の秘書官を務めた江田憲司氏(現衆院議員)も、その立ち回りぶりから織田信長に重用された側近を念頭に「官邸の森蘭丸」と呼ばれた。首相秘書官とは、そういう立場だ。つまり、これまでの経験を生かして首相を支えるのが使命で、特に政務担当秘書官はその比率が大きく、若干30歳の翔太郎氏に務まるのか、が、話を聞いた人の一致した見方だった。

あるベテラン秘書は、タイミングにも疑問を呈する。「首相就任時から連れて行くならまだ分かるが、1年たったから官邸に『異動させます』というのは意味が分からない。政権に余力がある時ならいいが、今は支持率低下でつらい時期。岸田さんは家族思いで知られる。つらい時に家族をそばにおきたいということであったとするなら、一種の『お友達人事』ではないか」と話す。

岸田首相は8日の参院本会議代表質問で、翔太郎氏起用の理由をただされネット情報やSNS発信への対応を、理由の1つにあげていた。自民党関係者によると、翔太郎氏はこれまでも首相のSNS戦略を担っていたといい、官邸に入らなくてもできることだ。就任以来、謎の高支持率が続いたものの、7月の安倍晋三元首相の銃撃事件以降の問題山積で一気に支持率が落ち、「実体」が見えてしまった岸田政権。長男の突然の起用理由に「SNS対応」をあげるのは、やはり苦しい。

今回の人事は首相の独断で、周囲に相談したような形跡はないという。これまで岸田首相の「人事眼」は絶妙で、自民党人事を含めて、その絶妙さを評価されてきた経緯がある。果たして、長男を巻き込んだ官邸人事は、吉と出るか凶と出るか。失速気味の首相とともに単なる「体験入学」「思い出づくり」で終わったら、首相の人事眼にも疑問符がつきかねない。【中山知子】