でんめおやじことメディア戦略本部石井政己(57)が、09年9月20日の座間600(座間〜下田〜修善寺〜裾野〜小淵沢〜十石峠〜座間)以来7年ぶりに600キロのブルベに挑戦。湘南台・桐原公園をスタートして碓氷峠を越えて軽井沢へ行き、南下して野辺山を上った後、伊豆の天城越えをするというコース。前回ブルベでヒザを痛め、不安を抱えたままでの出走も途中までは順調だったが、450キロを過ぎた伊豆半島に入ったあたりからヒザが悲鳴を上げ、河津からゴールの湘南台までの120キロは五十肩の痛み、眠気、そして暑さを合わせ四重苦のライドとなった。7年ぶりのSR(※)となったが、いや〜、本当につらかったよ(T_T)

※SR=Super Randonneur。仏語でシューペル・ランドヌール、英語でスーパー・ランドナー。同一年内(1月〜12月)にBRM(ブルベ)の200キロ、300キロ、400キロ、600キロを完走するとSRと呼ばれる


600キロの完走メダル
600キロの完走メダル

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天城越え600のコース
天城越え600のコース

 前回の9月25日の伊豆200の終盤、右足の膝の裏が痛み始め、曲げるたびに激痛が走るようになった。このときは何とか痛みに耐えてゴールしたのだが、その痛みが今回のブルベ前になっても完全には消えてくれなかった。ただ、ブルベまであと2週間となった10日に、箱根の宮城野あたりまので上りを含んだ140キロを痛みをそれほど感じることもなく走ることができ、1週間前にも平たんな80キロを楽にこなせた。


 今回のブルベは600キロだが、コース上の峠は緩やかな碓氷峠、距離は長いがそれほど厳しい上りはない野辺山、そして上り10キロと適度な距離の天城越えの3つ。あとに厳しく長い上りはなく難易度としては高い方ではない。さらに、このコースで走ったことがないのは、湯河原宿交差点から天城を越え、河津までの25キロだけ。残りの575キロはこれまでのブルベで走ったことがあり、記憶が薄れているところもあるが道はイメージできる。「休み休み行けば何とかなるだろう」。悩みはしたが出走を決意した。相変わらずの楽観主義ですな(^_^;


 ウエアをどうするかが今回のブルベの大きなポイント。平地では気温が20度前後まで上がるだろうが、今回のブルベで最高標高1375メートルとなる250キロ地点の野辺山の通過は午後8〜9時前後が予想され、気温はひとケタ台まで落ちる可能性がある。季節は異なるが、6年前の5月15日の青葉600(登戸〜碓氷峠〜野辺山〜御坂みち〜道志みち)の時は、南牧村は11度。午後8時前の野辺山付近は5度前後でダウンヒルは凍えた記憶がある。


 暑さは耐えられるが、寒さは耐えられない。週初めは夏日にまで気温が上がったが、直前の天気予報では2日間とも曇りとなっており、気温は上がりそうもない。前回のことも踏まえ、ウエアは長袖インナー、半袖ジャージ、冬用長袖ジャージ、ウインドブレークタイツと、ほぼ冬の装いで走ることにした。ダウンヒル用に持っていくウエアは、モンベルの超軽量ウインドブレーカー、レインウエア兼用のウインドブレーカー、着替え用の長袖インナー、薄い長袖ジャージー、冬用グローブ。これをサドルバックとバックポケットに詰め込んだ。予備チューブや工具類はツール缶に入れたので、ボトルは1本。輪行袋はどこにも入らない。覚悟を決めるしかないね。


 当日は自宅を午前4時過ぎに出発。のんびり漕いで13キロ先のスタート地点である湘南台・桐原公園に向かう。ゆっくり回しているせいか、膝に痛みは全く感じない。


22日午前5時29分 スタート地点の湘南台・桐原公園到着
22日午前5時29分 スタート地点の湘南台・桐原公園到着
22日午前5時38分、ブリーフィング
22日午前5時38分、ブリーフィング

 エントリーは65人だったが、出走は50人ほどになったもよう。午前6時前、曇り空の中を発進。トレイン後方で楽をしていたが、慶大湘南藤沢キャンパス付近で、風に流されてきたコンビニのレジ袋がスプロケとチェーンに絡まりストップ。特にたいしたことではないが、何となく暗雲漂う予感。その後はトレインに付いたり離れたりを繰り返しながら進んで行く。150キロ地点の妙義山付近まではほぼ平たんな道が続くので、とんでもなく速い人以外はそんなに差は広がらないだろう。


 膝は大丈夫だが、トルクを入れて踏み込むと「ピキッ」ときそう。大事を取って、軽いギアでくるくる回すことを心掛けた。このため、巡航時速は27〜28キロとなった。ダンシングも厳禁だ。


 厚木を過ぎ、逆風の相模川沿いを北上。高尾、秋川、飯能と快調に走り抜けていく。PC1が106キロ地点。そこまで腹は持たないので、多摩川を渡り、小作坂上の先にある60キロ地点のセブンイレブン青梅平松店で予定通りに最初の補給。到着時間は午前8時58分と、グロス時速20キロを維持している。


 さらに飯能、高麗、毛呂山、越生と順調に進み、荒川にかかる花園橋手前のPC1に吸収される。


【PC1 106・0キロ セブンイレブン寄居赤浜店】22日午前11時12分(貯金1時間56分)


 貯金は2時間近くあり自分としてはまずまずのペースだったが、後日リザルトを確認すると、トップとの差は37分で、30番目の到着とかなり後方に位置していたようだ。


 PC1を出発しても平たんな道は続く。小前田(おまえだ)駅の前を通った後に国道254号に入るのだが、藤岡を過ぎ上信電鉄と平行するようになったあたりから道が狭くなり(もっと前からだったかもしれないが、遙か昔のことで記憶が定かではない(^_^;)、ストップしてトラックをやり過ごすことが多くなってきた。


 富岡では「製糸場まで徒歩5分」という駐車場の看板が見えたので、製糸場が見えるのかと思って探し続けたが見当たらず。後で調べると、国道から少し中に入ったところにあった。


22日午後1時58分、妙義山に向かって上る
22日午後1時58分、妙義山に向かって上る

 国道254号に上州一ノ宮の手前で別れを告げると、道は緩やかに上り始める。やがて正面左に妙義山が見えるようになると、真っ直ぐに伸びる激坂。上り切って右に曲がり、上信越道の松井田妙義インター脇をぐい〜んと下ると国道18号。五科交差点を左折してすぐのところにPC2がある。


22日午後2時23分、国道18号で軽井沢を目指す
22日午後2時23分、国道18号で軽井沢を目指す

【PC2 163・6キロ ファミリーマート松井田妙義インター店】22日午後2時12分(貯金2時間44分)


 グロス時速はぎりぎり20キロ。貯金も50分ほど増えた。ヒザを気にしながらのライドだが、予定通りのペースでここまでは来られた。


 さあ、いよいよ碓氷峠。ここからが本番だ。


22日午後2時31分、おぎのや前通過
22日午後2時31分、おぎのや前通過

 休日とあって駐車場が満車状態のおぎのやを通過。旧道への分岐を左へ入ると、まっすぐに上る道。水が激しく流れ落ちる側溝を左に見ながら上り切ると、ようやく「カーブ1」となり碓氷峠への峠道が始まる。ピークは「カーブ184」。結構な数だが、数メートルごとにカーブがあったり、長くても十数メートルなので気がつくと数字は進んでいた。


22日午後2時34分、旧道から碓氷峠へ向かう
22日午後2時34分、旧道から碓氷峠へ向かう
22日午後2時42分、まっすぐな上りから始まる
22日午後2時42分、まっすぐな上りから始まる
22日午後2時46分、ここからが碓氷峠への上り
22日午後2時46分、ここからが碓氷峠への上り
22日午後2時46分、カーブ1
22日午後2時46分、カーブ1

 傾斜は緩やかで、こう配5%を切ることもしばしば。すいすい上って行けるのだが、ちょっとでもトルクを入れて踏み込むとヒザに痛みが走る。猛烈なスピードで上って行くブルベライダーを横目に、インナーローでくるくる回すことを心掛けながらあせらずのんびり上った。


 碓氷峠まではカーブ1から12キロ。めがね橋までは2・4キロ。上りだしてすぐなのだが、ほとんどのブルベライダーが写真ストップしていた(^o^)


22日午後3時、めがね橋到着
22日午後3時、めがね橋到着
22日午後3時1分、めがね橋で記念撮影
22日午後3時1分、めがね橋で記念撮影

 色づき始めた木々、廃墟と化したトンネル、橋などを見ながらゆっくり上る。ヒザは快調だったが、大事を取りめがね橋から6キロほど上ったところで休憩を入れた。


22日午後3時36分、少し色づき始めていた
22日午後3時36分、少し色づき始めていた

 ピークで下りに備え、モンベルの超軽量ウインドブレーカーを着込んだ。ここまでずっと冬用ジャージを着ていた。途中で「ジャージ暑くないですか?」と聞かれ、「少し暑いですね}と答えたが、寒がりなので実はちょうど良い感じだった。今回の参加者で自分が一番厚着だったと思うが、軽井沢付近の気温は11度。この日はそれで良かった。


22日午後3時57分、碓氷峠到着
22日午後3時57分、碓氷峠到着
22日午後3時57分、碓氷峠
22日午後3時57分、碓氷峠
22日午後4時1分、軽井沢へ
22日午後4時1分、軽井沢へ

 碓氷峠からはすぐに軽井沢。駅周辺の大渋滞を抜け、ちょっと上って追分を左へ曲がると待望の下り。それが20キロほど続く。


 佐久付近で水滴を感じた。ここで降るかよ〜。聞いてないし。だが、幸いにしてポツ、ポツと雨粒がほんの少し落ちただけで、気がつけばやんでいた。


 このあたりから日が暮れてきた。曇り空だったので暗くなるのも早かった。


 国道141号に入る野沢西交差点から野辺山への長い40キロの上りが始まる。十石峠へつながる国道299と合流する千曲病院入口交差点の先のセブンイレブン佐久穂町店で休憩を入れた。とにかく上りは刻んでいく作戦だ。


 麦草峠への分岐の清水町交差点を通過した時はすでに真っ暗だったが、7月の麦草400を思い出して懐かしかった。あの400キロが走れたから、今、ここにいるのだ。


 このあたりから傾斜がきつくなり、最初の登坂車線が現れる。踏み込まず、軽く回すことを続け、黙々と上っていく。


【PC3 229・1キロ セブンイレブン小海豊里店】22日午後6時35分(貯金2時間45分)


 松原湖手前のPCでひと息入れる。貯金はまったく増えていないが、ほぼ予想通りにここまできている。


 イートインで夕食がわりにドライカレーを食べ、再びゆっくりと上り始める。ピークの野辺山駅までは21キロだ。


 南牧村へ入った時の気温は11度だった。この先は3キロほど平たんが続いた後、2度目の登坂車線が現れるが、それほど長くはなく、やがて周辺が開けてきて店が建ち並びこう配も緩やかになる。そして野辺山駅への分岐に「あれ? もう着いたの」という感じでぶつかった。前回の座間400で上った時は、千曲病院入口交差点の先のコンビニから一気に30キロを上ったこともあり、あまりの長さにいやになったのだが、今回はその距離で1度休んでいるせいか短く感じられ、こう配も「この程度だっけ?」とうれしい誤算だった。


22日午後8時36分、野辺山駅到着
22日午後8時36分、野辺山駅到着

 そのまま誰もいない駅前へ進み、シャッターが閉められた売店前のベンチでダウンヒルに備えて着替えた。ちょうど小海方面の下り線の午後8時24分着の電車が到着したが、降りたのは1人か2人だったと思う。時刻表を見ると2時間に1本だったので、すごい確率で電車に遭遇したようだ。


 長袖インナーを替え、薄手の長袖ジャージーを新たに着込み、その上に冬用ジャージー、さらにウインドブレーカー、そして冬用グローブと気温5度でもどんと来いの状態にした。


 準備万端で韮崎まで30キロのダウンヒル開始。ところが、駅前から直進すればすぐに国道141号なのに、なぜかすぐに左に曲がって踏切を越えそのまま突っ走ってしまった。周囲に民家はあるが、どうも真っ暗な山の方へ向かっているようだ。なーに、そのうち国道に合流するさと思ったが、右手に国道らしきものはない。さすがにやばいと思い、2キロほど走ったところでUターン。振りだしの野辺山駅へ戻り、無事に国道に出ることができた。後で地図を確認すると、そのまま行っていれば本当に山の中へ突っ込んでいたようだ。4キロのミスコースで済んで良かった。


 前回の5月のダウンヒルでは凍えたが、この日はそこまで寒くない。南牧村の気温は前回も今回も11度だったが、今回の野辺山付近の冷え込みは前回ほどではないようだった。そして、下り切った韮崎の気温は14度。こんなにウエアを持って来なきゃ良かったかと思うが、どうなるかは予想できないからね。寒くなければ、それでよしとしよう。


 清里から須玉付近までは気持ちのいい下り。その先はややこう配が緩くなり、路面状況も悪くなる。そのガタガタ道を目いっぱい回していたら、突然、大きな金属音が鳴り響いた。どうした? 何があった? またメカトラか?


 ストップして恐る恐る自転車を確認。特に異変はないようだが…あっ!! 尾灯がない! というか、砕け散っている。シートステイにつけていたのだが、激しい振動でずれ、後輪のスポークと接触して破壊されたのだ。ライトで車道を照らしながら残骸を回収したが、単3のエネループ1本は見つからず諦めた。


 ここで心配になったのが「尾灯は車体フレームに十分固定されていることを確認してください」という青葉のローカルルール。残った尾灯はサドルバッグに付いているものだけだ。ルール違反でたとえ完走しても認定されないなんてことになったら…。あぁ、また心配事が増えたよ(T_T)


【PC4 298・9キロ ファミリーマート石和町松本店】22日午後11時42分(貯金2時間50分)


 韮崎、甲府の市街地を過ぎ、石和健康ランドのすぐ先がPC4。健康ランドで寝ることも選択肢だが、風呂に入って気持ち良く寝てしまうと、もう一度走り出す自信はまったくない。それに明るくて、人がいっぱいいるところではたぶん眠れないだろう。こう見えても神経質なんでねぇ。幸いなことにまだ睡魔は襲ってきていないこともあり、おおきなおむすびを補給してリスタートした。身延線の駅のどこかで少し横になれればいいかな。


 この時点でトップとは4時間差。貯金もまったく増えず、34番目とほぼ最後方に位置していたようだ。


 折り返した後は、笛吹川、富士川沿いを南下する。笛吹ラインは車もほとんど通らず(夜中だから当たり前か)まさにブルベという田舎道だ。鰍沢付近からは新しい道で、舗装も綺麗でこのあたりは走っていてずっと気持ち良かった。ただ県道9号へ曲がる目印の寿司店「しん坊」が見当たらず不安だったが、無事にこれまでのブルベで何度も訪れている峡南橋に着いたのでひと安心。


 だが、330キロを超えたここでついに睡魔が襲ってきた。すーっと意識を失いそうになる。まぶたも重い。周囲に誰もいないことを確認して、歌を歌ったり掛け声をかけて眠気をさました。以前、歌を大声で歌っている時に後ろから「お疲れさまです」と抜かれ、とても恥ずかしい思いをしたことがあるので後方確認は重要(^_^;


 峡南橋で富士川を渡り、眠気と戦いながら右岸を南下し、23日の午前1時半ごろに上沢のセブンへたどり着いた。ここで「強強打破」をイッキ飲み。ガムの「メガシャキ」を口に入れてリスタート。これが効いたのか、眠気はいったんは収まった。


 冨山橋で富士川を渡り、すぐ右折して波高島から富士川左岸を南下する道はブルベでもお馴染みの道。明るい時も真っ暗な時も何度も通った道だ。碓氷峠では猿に出会ったが、ここではタヌキが2回、前を通り過ぎた。鹿も見たような気がするが、これは気のせい? 静岡に鹿がいるのかなぁ?


 冨山橋で1人のブルベライダーが後ろについたが、身延駅でトイレ休憩をしたため、再びひとり旅。7年前の神奈川600沼津クラシック以来、7年ぶりに身延駅の先の10%を上ったが、その時より今回は楽に上れた気がする。年は取ったが、スキルが上がったかな。


23日午前2時3分、身延駅通過
23日午前2時3分、身延駅通過

 身延から稲子付近まではアップダウンが続くいやな道だが、ヒザも痛みを感じることなくこなせた。ただ、ちょっと横になろうと予定していた駅には先客がおり、その先もうまい寝床を見つけられずそのまま走り続けたのは誤算だった。これが翌朝になって響いてくることになった。


 たった1人で真っ暗な道を上って下って、歌って眠気を抑え、タヌキと競争して(^o^) これが400キロ以上のブルベの醍醐味だ。


23日午前3時9分、静岡県へ
23日午前3時9分、静岡県へ

 芝川方面へ直進すれば楽に富士川橋へ出ることができるのだが、距離の関係か、あるいは「#アオバヒドイ」(青葉ブルベは余計な上りが多くひどいコース)のせいか、新内房橋で富士川をみたび渡り、山の中へと進んで行く。上りがあるとはうすうす感づいていたが、「富士見峠」と名の付いたちゃんとした峠だとは思わなかった。上っても上ってもピークに着かず、意外ときつい5キロの坂だった。


 新東名の新清水インター付近で上りは終わり、一気に道は海へ向かって下り、興津のPC5に到着した。


【PC5 390・8キロ ローソン清水興津中町店】23日午前4時41分(貯金3時間23分)


 貯金は30分ほど増えていた。このまま維持すれば36時間台のゴールになるが、これはこのコースであればこれぐらいかなと読んでいた時間。天城を下った後の平たんで1時間ぐらいは貯金は増えるだろうから、35時間台という予想を上回るタイムも可能だ。なにしろこれまでの600キロはほとんどが38〜9時間台。最後はいつも時間との戦いだったが、今回は余裕で走れそうだ。


 実はこの時点でトップとは4時間半の差があったが、位置的には18番目と大幅ジャンプアップしていた。眠らず走ったことで、石和健康ランドなどで寝ている20人ほどを一気に抜いたのだろうね。


 このPCの先、正確に言うと国道1号のアンダーパスをくぐった反対車線に駿河健康ランドがある。ここで寝ている人もいたようだが、眠気も覚めてきており、もうすぐ夜明けとなることもあって先へ進むことにした。


 反対車線の歩道をパンクに気をつけて慎重に走り、ブルベでお馴染みの西倉沢交差点で横断歩道を渡り、踏み切りで貨物列車が通り過ぎるのを待って旧東海道へ入る。ここから沼津までは目をつぶっていても走れる。というか、富士川を渡ってからは20キロの1本道だ。


 このあたりで夜が明けた。これまでの経験だと、明るくなれば眠気も自然に吹き飛ぶ。後は天城峠を越え、完走を目指すだけだ。左手に冠雪前の富士山を見ながら、くるくる回していく。順調そのものだった。天気も予報では曇りだったが、気持ちの良い晴れになりそうだ。


 三園橋で狩野川を渡り、国道414号を南下。神奈川ブルベの沼津シリーズの発着点だった、なつかしき沼津遊泳場前を通った時は「ここがゴールだったら、お風呂にすぐ入れるのに」と思った。だが、まだ440キロだ(T_T)


23日午前7時5分、三園橋通過
23日午前7時5分、三園橋通過

 異変はその後ぐらいから起こった。ついに右ヒザに痛みが走るようになってきた。口野放水路から伊豆半島に入ったが、スピードがまったく上がらない。とりあえず伊豆長岡のセブンに吸収され、ひと休みした。残りは160キロ。この足で走りきれるだろうか。今の時間は午前7時49分。制限時間の午後10時までは14時間強あるので、グロス時速12キロでも完走できる。このブルベ参加の大きな目的は、初めて走る天城越え。これを前にしてリタイアはないな。多少無理しても天城だけは越えたい。天城を下った先の河津でリタイアするかどうかを決めよう。そう決断し、走り続けることにした。


 修善寺駅の先、鮎見橋を右折したところからの緩い上りもつらかった。ただ、1カ月前の伊豆200で走ったばかりで道の様子が分かっているので気は楽だった。そして、湯ケ島宿交差点手前のセブンでまた休憩。この間の20キロは1時間半ほどかかった。巡航速度が時速22、3キロでは仕方ない。


 460キロを走り、ようやく待望の天城越えだ。最初は緩かったが、浄蓮の滝付近からきつくなってきた。ヒザの痛みで何度も止まったが、なんとか歩かないでピークまでたどり着けた。万全の状態の時にまた来よう。


23日午前9時39分、浄蓮の滝前
23日午前9時39分、浄蓮の滝前

 娘たちが小さいころ、天城のいのしし村で遊んだ記憶があり、どこだったかなと探していたが見当たらなかった。後で調べると8年前に閉園したようだった。


23日午前10時14分、緑に囲まれた峠道
23日午前10時14分、緑に囲まれた峠道
23日午前10時24分、天城大橋。左へ行けば旧道
23日午前10時24分、天城大橋。左へ行けば旧道
23日午前10時26分、新天城トンネル到着
23日午前10時26分、新天城トンネル到着
23日午前10時27分、天城峠バス停
23日午前10時27分、天城峠バス停

 天城トンネルは怖かったねぇ。路肩はまったくないし、道幅も狭く長い。幸いにして後方から車が来なかったから良かったが、2度と走りたくないなぁ。次に来る時は旧道かな。


23日午前10時34分、新天城トンネルを脱出
23日午前10時34分、新天城トンネルを脱出

 下りの途中にあるループ橋も、高所恐怖症の自分にとっては恐怖以外の何物でもなかった。ここも2度と走りたくないが、ほかに道がないから仕方ないか。


23日午前10時47分、ループ橋
23日午前10時47分、ループ橋

 強烈な向かい風の中を走り抜け、ようやく最終PCに到着。


【PC6 486・3キロ ファミリーマート河津浜店】23日午前11時17分(貯金3時間7分)


 三園橋でブルベライダーを見て以来、ここまで誰にも会わなかった。PC以外のコンビニで休憩し、上りでは何度もストップしたにも関わらず、抜かれもしなかった。ということは、最後尾に違いないと思っていたら、2人のブルベライダーが到着した。まだ後ろにいたんだとちょっと安心(^_^; そのうちの1人はこの近所で金目鯛を食べていくという。自分はもう何も食べる気がしないし、口にもゼリー状のもの以外は入らない。いつもの事だが、こういうグルメを楽しめる胃腸と、店でゆっくり食べる時間を稼ぎ出す脚力が欲しいものだ。まあ、もう年なので望めないだろうが…。


 貯金は多少減っているが、後で調べたらこの時点の位置はなんと16番目だった。


 残りは120キロ。厳しい峠もない。普通の状態であれば何でもない距離で7時間もあれば走れ、午後6時台にはゴールできるだろう。その距離が、時速20キロちょいでしか走れない今となっては果てしもなく遠く感じた。帰れる気がせずリタイアも考えた。しかし、グロス時速12キロで諦めずにこぎ続ければ、ゴールできる。ここまで走ったことを無駄にしたくないし、7年ぶりのSRもかかっている。輪行袋もない。走るしかないかと覚悟を決めた。あとは気力がどこまで持つかということだった。


 ただ、ヒザ以外にも苦しみはあった。まず暑さ。天城の気温は18度で、下った先の海沿いはもっと上がっているだろう。青空が広がりサイクリングには最適なのだが、野辺山の寒さを第1条件にウエアを選択し、冬用ジャージを着てきたので暑くて仕方がない。もちろん脱ぎたいのだが、バックポケットにはすでに脱ぎ捨てたインナーやウインドブレーカーが詰まっており、サドルバックにも空きがなく脱げない。冬用のウインドブレークタイツもうらめしい。2日間とも曇りでそれほど気温が上がらないとにらみ、「寒さは我慢できないが、暑さは我慢できる」と思って厚着してきた。初日はいい感じだったが、2日目の快晴は誤算だった。


 次に右肩。五十肩がまた痛み始めたのだ。たまに痛み始め、ヒジが伸びなくなったりするのだが、今回はずきんすきんと響いてくる。普通にしているとそうでもないのだが、自転車に乗ると痛くてたまらない。痛みを一番感じない体勢を走りながら模索しようやくたどり着いたのが、肩を下げてヒジを大きく曲げること。後ろから見ると変な格好だが、これが一番楽なスタイル。これで残りの120キロを走った。


 そして睡魔がまたしても襲ってきた。しかし、明るくなるとその辺の道ばたやバス停で寝ることもできない。暗い時にどこかで寝れば良かったと後悔した。メガシャキ噛んで頑張るか。


 ひとつ成長したかなと思うのが「ケツ」。いつもは400キロ前後ですり切れ、サドルに腰を下ろすのもいやになる。ところが、今回は肌を保護するムースの「ボルダースポーツ」をバックポケットに入れ、こまめに塗り続けたのが良かったのか、痛みはもちろんあるがすりきれていない。帰宅した後、風呂にも入ることができた(^o^)


 これに持病の腰痛が加わっていればリタイアしかなかったが、幸いにして腰は大丈夫だった。


 出発するといきなり強烈な向かい風。あ〜ぁ。気持ちが折れそう…。


 今井浜、稲取、白田、熱川、北川と温泉地があるたびにアップダウンを繰り返す海岸線の道はつらかった。亀の歩みだが、何とか休みなしでしのげた。赤沢温泉の先の少し平たんになったところにベンチがあったので転がり込み、横になって少しの間、目を閉じた。眠れはしなかったが、リフレッシュは多少なりともできた。


 そして伊豆高原への上り。城ケ崎入口交差点を右折して緩やかな県道へ行く誘惑に打ち勝ち、コース通りぐらんぱる公園までのほぼ直線の上りを進む。赤信号がうれしかった。梅の木平からは人並みのスピードで一気に下り、伊東のセブンイレブンに吸収された。ここで先ほどの河津で金目鯛を食べるというブルベライダーと再会。オレンジセンターで食べてきたそうで、おみやげにもらった「踊り子饅頭」のお裾分けをしてくれた。そうだよねぇ。ブルベってこうやって楽しみながら走るもんだよねぇ。


 宇佐美から上った後、網代へ下り、伊豆多賀の平たん区間を過ぎるとようやく熱海への上り。折れそうな心を「頑張れ、負けるな」と自分で自分を鼓舞しながら走る。そして熱海に着いた時、これで帰れると思った。残りはまだ60キロあるが、ようやく先が見えてきた感じがした。


 伊豆山はなんとか足付きなしで上れたが、真鶴旧道は2度休んだ。


 小田原あたりで暗くなってきた。残りは30キロ。ここからも遠かった。平たんでも、もう時速は18キロぐらいしか出なくなっていた。歩道のママチャリの中学生にも抜かれた。でも、諦めなければ、こぎ続ければゴールできる。そう信じて走り続けた。


 午後6時過ぎに大磯のセブンイレブンでひと息入れ、残りの15キロは一気に走った。


【ゴール 604・8キロ 湘南台・桐原公園】23日午後7時46分(貯金2時間14分) 


23日午後7時52分、湘南台・桐原公園
23日午後7時52分、湘南台・桐原公園
23日午後7時43分、ゴール受付(撮影・青葉スタッフMさん)
23日午後7時43分、ゴール受付(撮影・青葉スタッフMさん)

 河津からゴールまでの120キロを8時間半かけ、ヘロヘロの状態でゴール。7年ぶりの600キロ完走で、7年ぶりのSRとなった。タイムは37時間46分で、完走した40人中、24番目。トップとは7時間以上の差があった。


 400キロまでは順調だったが、やはり600キロは甘くない。体に不安があればDNSも視野に入れなければと痛感した。楽しくなければサイクリングじゃないからね。それにしても我ながらこの状態でよく走れたもんだと思う。7年ぶりのSRという目標がなければ、気持ちは切れていただろう。


 壊れた尾灯だが「不可抗力」でセーフ。ルール違反とはならなかった。


 これで通算5度目の600キロ完走だが、最後の信号で追いつかれてほぼ同時にゴールした女性ライダーは「今年4度目」と言っていた。信じられん。


 今年のブルベはこれで終了。200キロを3回、300キロを1回、400キロを1回、600キロを1回完走した。来年は時間がかかってもいいから、もうちょっと寄り道したいもんですな。【メディア戦略本部 石井政己】