インターナショナル・ミーティングに集まったチンクエチェント
インターナショナル・ミーティングに集まったチンクエチェント

第33回“FIAT500祭り”は日本がホスト

 イタリア最大の商業港であるジェノバから西へ1時間ほどのガルレンダという小さな町では毎年7月最初の週末に、「インターナショナル・ミーティング・FIAT500」というイベントが開かれる。去年、初めて参加してこのコラムでも紹介した。

 第33回を迎える今年のホスト国は、なんと日本。主催者である「FIAT500クラブ・イタリア」の本部があることを除けば、おそらくこの地を訪れる日本人はいないんじゃあないかと思われるほどの小さな町だが、会場へと続く道には「日本の皆様、ようこそ。」とのノボリも掲げられていた。

1台1台にオーナーのこだわりが感じられる
1台1台にオーナーのこだわりが感じられる

英仏独からも自慢の愛車でやって来る

 会場となるサッカー場はイタリア国内はもちろん、フランス、ドイツ、はてはイギリスからもチンクエチェントのオーナーたちの自慢の愛車で埋め尽くされた。パリから来たというカップルは、チンクエチェントで約1,000キロを旅するのは酷だと、イタリア国境までは列車で運搬してきたという気合の入り方だった。

フランスから来た親子。相撲取りに扮したお父さん、浴衣姿の娘(司会者の後ろ)に柔道着の娘。手前のちびっ子のはチャイナドレスに見えますが…
フランスから来た親子。相撲取りに扮したお父さん、浴衣姿の娘(司会者の後ろ)に柔道着の娘。手前のちびっ子のはチャイナドレスに見えますが…

イタリアとの架け橋になった伊藤精朗さん

 その中に、ただたんにひとつの自動車としてだけでなく、チンクエチェントを通して日本へのイタリアの文化の紹介、理解、友好に務めてきた伊藤精朗さんがいた。

 「30年くらい前のことになりますが、繊維を扱う仕事の関係でイタリアに縁ができました。外国語学校でイタリア語のコースに通い始め、そこからすべてが始まったのです」

 伊藤さんがイタリア語を習った先生はアンドレアというジェノバ人だった。彼を通じてイタリアの文化を知り、そして、当然のことながらチンクエチェントに行き着いた。仕事の関係でイギリスにいたこともあって、元々は英国車が好きだった。しかし、日本ではすでに英国車は市場ができていたが、イタリア車はパーツが手に入らず、車を買えても修理ができない状況だったという。

というわけで、道を歩いているとそこらじゅうで「一緒に写真を撮らせて!」と言われるのでした
というわけで、道を歩いているとそこらじゅうで「一緒に写真を撮らせて!」と言われるのでした

 「そこでアンドレアを通じてジェノバのパーツショップと仲良くなり、整備に必要な部品を調達しはじめたのです」

 会社を辞めた伊藤さんはチンクエチェントの車両本体とパーツの輸入・販売を開始。名古屋にトゥルッコというショップをオープンさせた。トゥルッコは上記のジェノバの部品ショップの屋号で、いわば暖簾分けだった。

ニホンリョコウノオミヤゲデス。コレ、ナンテカイテアルノデスカ?
ニホンリョコウノオミヤゲデス。コレ、ナンテカイテアルノデスカ?

500~600台のチンクエチェントを輸入

 「たぶん、500~600台のチンクエチェントを輸入したと思います」と語るように、そのビジネスは成功し、伊藤さんの言葉を借りれば「チンクエチェントの日本でのインフラを作ることができた」。

 その一方で「FIAT500クラブ・イタリア」とも縁ができ日本支部を設置。「チンクエチェント博物館」もオープンさせた。

 1984年から続く歴史あるこの「インターナショナル・ミーティング・FIAT500」で日本がホスト国とされた理由は、ひとえに伊藤さんの尽力によるといっていい。

 「変な言い方ですが、車の所有者は亡くなっても、チンクエチェントは残るんです。部品があって整備をすれば、半永久的に走ります。それには僕がなにをできるのか。そのための御用聞きみたいな存在だと思っているのです」

パレードに参加した伊藤さんのチンクエチェント
パレードに参加した伊藤さんのチンクエチェント

 「肉体は滅びても魂は残る」とは人間の意志というものは永遠に引き継がれるの意。オーナーは亡くなってもチンクエチェントは受け継がれる。自らを「御用聞き」と遜恭する伊藤さんの願いとともに。(イタリア・ミラノから新津隆夫。写真も)