日本プロゴルフの「グランド・ゴールドシニア選手権 ゴルフパートナーカップ」が6月5、6日の2日間、兵庫のよみうりカントリークラブで行われた。試合は、60歳以上のグランドの部は通算3アンダー141で重信秀人(60=フリー)が、68歳以上のゴールドの部は佐藤正一(67=フリー)が通算2アンダー142で、それぞれうれしい初優勝を飾った。

 大会は、かつて男子ツアーのよみうりオープンを長く開催するなど、関西にはおなじみのよみうりカントリークラブを会場に、入場券は無料でそのうえ、焼きそばやカレーなどの昼食無料券もその入場券についており、ゴルフファンにはたまらない催しとなっていた。おまけに今季から、60歳になる倉本昌弘PGA会長も出場など、長くゴルフを愛している人には懐かしい顔がそろい、間近で往年のプレーが楽しめた1日だった。

 そんな訳で2日間で9000人弱のギャラリーがつめかけ、レギュラーツアーを上回る観客を集めての大盛況だった。「来年もここよみうりCCでやりたい」と倉本会長は語っていた。

 60歳以上の部のグランドで勝った重信と私は同い年で昔から気の合う間柄だった。そんな重信が取材に行ったその日にシニアになって初の優勝の場面に遭遇するとは奇遇だった。重信がレギュラーツアーで活躍(通算5勝)している頃、私もツアー取材に没頭していた。お互い若くて血気盛んだったが、同じ大阪生まれで高校球児(重信はあの野茂投手の先輩で大阪・成城工出身)、ゴルフは大学から始めたなど共通点が多くて、友達同士のようなプロゴルファーとゴルフ記者だった。

 6日の最終日、9番ホールのグリーン周りで重信を待った。うまいパーを拾ってきた重信に「ナイスパー、久しぶり」と声をかけた。「おう、マッちゃん、何しに来たン?」。「そりゃあ、応援やんか、ところでいくつ?」。「いくつって、同じ年やんか」。「いや違う、スコアや」。「アカン、通算2アンダーや」。

 インに向かう重信をその時、奥野光司が同5アンダーで首位だったので「ちょっと、厳しいかな」と思いながら見送った。しかし、ゴルフはわからない。なんと奥野が10番から3連続ボギーで、14番でバーディーを奪った重信が首位に立つ。16番でもう1つ取って、同4アンダーとしたが17番で3パットボギー。重信同3アンダー、奥野同1アンダーで18番パー5を迎えていた。奥野は第3打をピタリと付けて、同2アンダーとするのは確実。対して、重信は1・5メートルのパーパットを残していた。入れれば勝ち、はずせばプレーオフにもつれ込む。

 こちらは息をのんで見守っていた。そんな勝負のパットを、重信は簡単にラインを読んですんなり打った。そしてど真ん中から入れた。記録に残っている優勝といえば、後援競技の92年の山口オープン以来で、50歳から資格を得ているシニアの試合では、初めての栄冠だった。賞金は100万円。なのに、昔ほどのはしゃぎもなく、静かな優勝だった。表彰式で落ち着いた優勝スピーチ、優勝カップを掲げて写真に納まる重信を見てこちらも、心底うれしくなった。

 「そやけど、マッちゃんよ」と言って始まった優勝インタビューには味があった。話題は、あの厳しい1・5メートルのパーパットに及んだ。79年の中四国オープンでツアーデビュー戦で優勝という離れ業から36年。私の記者生活と同じ年数プロゴルファーをやっている。「あんなきついパットを何回はずしてきたか。これを入れれば、予選を通る。これを入れれば単独○位や。100万違うぞ。ようやく入れた時もそりゃあ何回かはある。そんな経験をいっぱいやってきて、こんな状況にきたら、ラインはどうのこうのとか、はずしたらどうとか、もう考えないようにしたんや。“1分後には結果は出てるやないか”。あのパットも、簡単に打ったやろ」。そう言った重信はドヤ顔していた。

 私はいろいろ考えた。「結局、無心で打つ言うことか。そこまで達観したんや。無我の境地なんかな」。いろいろ言葉を並べたが、重信は「うん」と言わない。「そんな、熟語の世界やないねん。とにかく、長い経験から少しわかったことなんや」。私もゴルフをするからなんとなくわからなくはない。ともかく、この厳しいパットを打つのに、うまくカップにパターのヘッドが向かって、シンで打てる精神状態を重信は、見つけ出したのかもしれない。

 「こうなったら、これからいっぱい勝てるな」。調子に乗って言ってみると、一笑に付された。「そんな甘いもんやない。勝つための準備は常にするけどね」。私もたまに厳しいパットを打つ状況になることがある。遊びのゴルフであってもだ。そんな時、私は「命まで取られんやろう」と思って打つのだけど、これを重信に言っても「そういうもんでもないな」と否定されそうだ。ともかくゴルフは奥深いと感じた1日だった。【町野直人】