宮里優作(36=フリー)が「人生初」44ホールの死闘を制し、2年連続で全米オープン(6月15日開幕、ウィスコンシン州)の出場権を獲得した。

 前日まで京都で関西オープンを戦っていたが、この日はインスタートの先頭で午前6時30分にティーオフ。第1ラウンドは13番からの3連続を含む6バーディーと快調に伸ばしたが、第2ラウンドは一転、1バーディー。

 国内開幕戦となった東建ホームメイト杯から5月のレジェンド・チャリティープロアマを含めると8週連続で試合に出場しており「後半、一気に体にきましたね」と疲労を隠せなくなっていた。

 しぶとくパーを重ねるゴルフに徹してノーボギーでたが、本当に大変なのはここからだった。宮里を含めた通算7アンダーで並ぶ6人でプレーオフが行われることになったのは、最も早いスタートだった宮里のホールアウトから約2時間後。「体が回らない。動かしたいように動いてくれない」と言ったように、いきなり1ホール目のティーショットを右の池に入れてしまった。

 1ホール目でパーだった今平周吾とC・キム(米国)が通過を決め、4人で1枠を争う戦いへ。3ホール目でアダム・ブランド(オーストラリア)、4ホール目では小林伸太郎が脱落し、勝負は任成宰(韓国)との一騎打ちに突入した。傾斜に切られた難しいピン位置に加え、時間の経過とともにグリーンの状態も変化。5ホール目でお互いバーディーを奪った以外は、ともにパーでしのぐ展開が続いた。

 7ホール目を終え、日没も迫っていたが「もう1ホールやろう、と自分から言いました。負けるにしろ勝つにしろ、最後決めようと」。8ホール目、第2打の残りは154ヤード。ティーショットはずっと2番アイアンで打ち続けたが、第2打地点から見えるピンが遠ざかっていくのを感じていた。8番アイアンから直前で番手を1つ上げ、7番アイアンで奥4・5メートルに2オン。「明日のことを考えながら打った(笑い)」というバーディーパットを沈め、決着をつけた。時計は午後7時を回っていた。

 ホールアウト後、表彰式に向かう途中で、先に通過を決めた他の選手たちがねぎらいに来てくれた。「待たせてゴメン」と律義に頭を下げ、報道陣にまで「遅くまですいませんでした」とわびた度量の大きな選手会長。「(決められなかった)自分でまいた種だけど、2度とやりたくない」と笑った44ホールの死闘を終え、ポツリと言った。「チャンスもらっちゃったからね。ホント、頑張れって、神様が言ってくれていたのかな」。

 昨年大会は日本勢トップの23位。さらに上を目指す。