<男子ゴルフ:つるやオープン>◇最終日◇28日◇兵庫・山の原GC山の原C(6793ヤード、パー71)◇賞金総額1億2000万円(優勝2400万円)

 松山英樹(21=東北福祉大)が“プロ入り後最速V”を達成した。1打差で先行する首位デビッド・オー(32)を、上がり4ホール連続バーディーで逆転。この日6バーディー、1ボギーの66、通算18アンダー266で優勝を果たした。プロ転向後2戦目での優勝は、現行のツアー制度になった99年以降では、従来の5試合を大幅に上回る最短記録。マスターズでローアマ、国内ツアーでも優勝と、例をみないアマ時代の実績を持つ怪物が、プロの世界でも歴史的快挙を成し遂げた。

 カップインの快音と大歓声が、新たな時代の到来を世界に知らせた。18番パー4。松山は1・5メートルのバーディーチャンスを前に「ふーっ」と深く息を吐いた。「外したらどうしよう、でもプレーオフもあるな、とかいろいろ考えてました。でもけっこう切れるラインだったので、逆に集中できた」。構えてから十分に時間をとって、雑念をすべて振り払う。いつものリズムで放ったパットは、見立て通りにカップ半分フックして、真ん中から決まった。

 「最後にいいプレーができてよかった」。この日はショットの感触こそ悪くなかったが、パットに苦しみ、終盤までスコアを伸ばせなかった。流れが変わったのは、16番パー3。8メートルのバーディーパットをねじ込み、力強くガッツポーズ。「やりましたねー!」と進藤大典キャディーに笑いかけたところから、急にギアがトップに入った。

 続く17番パー5。不調だったドライバーが、この日全選手中最長の飛距離301ヤードと火を噴く。カラーからイーグルを狙ったパターは3メートルもオーバーしてカラーにこぼれたが、事もなげに返しの一打をねじ込み、バーディーを強奪した。

 「最後は先にパーになってしまった方が負けの展開。オー選手は粘り強くパットを決めてきた。どんだけ入れるんだこの人、と思いました」。スイッチが入る直前の15番パー5から、終わってみれば4連続バーディー。がっぷり四つの力相撲を、正面からの寄り切りで制してみせた。

 前夜は少しだけナーバスになっていた。「去年の夏の日本学生以来、ずっと優勝していなかったので。昨日の夜も、大典さんに『どうやって勝つんですかね?』と聞いてしまいました」。ラウンド中も序盤は「今日勝たないと、ずっと勝てないのでは」という考えが頭をよぎった。

 しかしいったんスイッチが入れば、弱気は一気に吹き飛んだ。プレーの合間にリーダーズボードを何度もにらみつけ、順位と周囲との差を目に焼き付けた。進藤キャディーは「あまり見ると、優勝を意識しすぎて重圧になる」と心配したが、お構いなし。「優勝することだけを考えていました。優勝するためにやっていますから」と言い切った。

 アマチュア時代も、プロのツアー戦に出ては、最終日終盤の猛チャージで何度も優勝争いを演じてきた。11年三井住友VISA太平洋ではツアー初優勝も果たした。しかし当時は「アマは賞金もないし、自分や周囲が食べていく心配もないから、優勝するかどうかだけ。優勝するためにバーディーだけを狙う今の戦い方は、プロになってもできるかは分からない」と話していた。

 ふたを開けてみれば、アマからプロという立場の変化よりも、優勝したいという変わらぬ「本能」が上回った。これで世界ランクも、100位近くまで上がることが予想される。プロ初優勝は「4大会全部勝ちたい」と言い切る海外メジャー出場圏内の50~60位へ向け、大きな1歩ともなった。勝ちにこだわり、勝ち続けることで、日本ゴルフ界に「松山時代」が来る。【塩畑大輔】

 ◆プロ転向最速優勝

 2試合目。これまでの記録は薗田峻輔、藤本佳則の5試合目(99年日本ゴルフツアー機構発足以降)。98年以前では、79年に重信秀人がデビュー戦の中四国オープンで優勝。81年には、倉本昌弘が日本国土計画サマーズに2試合目で優勝している。

 ◆最終日男

 松山は昨年ツアー6試合に出場し、規定試合数未到達ながら、平均スコアは全選手中1位にあたる「69・85」。最終日の同スコアは「69・00」とさらに跳ね上がる。今年に入り、プロ初戦の4月東建ホームメイト・カップ最終日はベストスコアの「66」、この日も同じく「66」をマークした。松山は最終日に特に強い選手といえる。