鶴岡東(山形)が鳥取城北を下し、4度目の挑戦で夏初勝利を挙げた。2回表に黒川大翔内野手(3年)の「人生初」本塁打で先制。さらに1番田辺和内野手、先発の福谷優弥投手(ともに3年)も初めて4安打を打つなど計16安打の猛攻で打ち勝った。3回戦は大会第10日の15日第2試合で花咲徳栄(埼玉)との対戦が決まった。

 甲子園が不思議と力を与えてくれた。両者無得点の2回表1死走者なし。7番黒川が直球を振りぬいた打球は左翼ポール際へ伸びていく。一塁まで全力疾走すると塁審の手が回っているのが見えた。「びっくりしました」と言うのも無理はない。これが野球人生初のホームラン。「気持ち良かった」と笑顔でダイヤモンドをまわった。

 さらに「初」は続いた。1番の田辺は「今日はボールが良く見えていた」と初回に中前打で出塁。すべて直球を狙いすまし、公式戦初の4安打でチームに勢いを与えた。先発の福谷も7安打6失点と取られた分を自身初の4安打で返した。16安打の猛攻で突き放しての初勝利。前身の鶴商学園での78、81年、鶴岡東での11年。過去3度の出場で歌えなかった校歌を、甲子園に響かせた。

 OBで就任15年目の佐藤俊監督(44)は、校歌を聴きながら「感動しました。泣きそうだったけど、ここで泣いたら恥ずかしい」とこらえた。監督として初出場した11年夏。70年から91年まで鶴商学園を指揮し、自身の恩師でもある田中英則さんが試合直前の8月8日に64歳で亡くなった。だがその時は白星を届けられなかった。この夏。山形大会を制し、甲子園入りする前にあらためて墓前で勝利を誓ってきた。「とてもうれしい。これからゆっくり味わいたい」。約束を果たせた喜びをかみしめた。

 多くのOBがナインを支える。的場裕典さん(33)は5年前、下宿先で部員がコンビニ弁当などで食事をすます姿をみて「これでは甲子園で勝てない」と私費で寮を造り、部員の面倒を見てきた。今も88人の部員中51人のために1日約30キロの米を炊く。他にも毎冬、グラウンドの雪を有志が重機を出しかき出してくれる。

 そんな先輩への思いを込め、今大会からユニホームのタテジマを細い2本線から、昔の鶴商学園の太い1本線へとモデルチェンジした。デザインに関わったのは元野球部長で00年に亡くなった茂木勝矢さん(享年46)の息子でスポーツ店を営む塁さん(31)。安食幹太主将(3年)は「先輩たちの思いが入っている」と感じながらプレーした。

 歴史的な1勝にも福谷は「1勝だけで満足しちゃダメだと思います」と次の8強を見据える。安食主将も「もう1回勝って、またあの場所で校歌を歌いたい」。新たなユニホームとともに鶴岡東の夏は始まったばかりだ。【高場泉穂】