<高校野球静岡大会>◇7月31日◇決勝

 同じ常葉学園でも、今年は「菊川」でなく「橘」だ。常葉学園橘が浜名に10-0と圧勝し、春夏通じて初めての甲子園出場を決めた。全国的には一昨年、昨年と旋風を巻き起こした「弟」分の常葉学園菊川が有名だが、「兄」が念願のひのき舞台に名乗り出た。

 初めての甲子園の扉が、最後は鮮やかなダイビングキャッチで開いた。9回2死一塁の初球。左翼への邪飛に、常葉学園橘の山田飛輝(しぶき)左翼手(3年)がフェンスめがけて飛び込んだ。ぎりぎりでつかんだ瞬間、創部47年目での初優勝が決まった。ノーシード同士の対戦。浜名の3投手に15安打4本塁打を浴びせて圧倒した。この日、2打席連続本塁打を放ち、最終回に自己最速タイ147キロをマークした庄司隼人投手(3年)は「まさか飛輝が、あんな思い切ったプレーをするとは」と仲間を冷やかしながら、完封勝利に酔いしれた。

 やっと「弟」の背中に追いついた。63年に創部。20年後にでき、07年センバツ優勝、昨夏準優勝と春夏6度も甲子園に出場した常葉学園菊川に水をあけられた。サッカー部は全国大会に出場し、いつしか「野球は菊川、橘はサッカー」(学校関係者)とすみ分けられ、部の予算は、菊川の半分近くにまで差が広がった。

 専用練習場がある菊川に対し、雨天練習場もない。雨が降れば駐輪場で素振りし、ボール代わりにバドミントンの羽でトス打撃を行った。狭い天井の蛍光灯をバットで割ることもあった。昨秋、副部長から就任した黒沢学監督(32)は意識改革を行った。全体練習を早めに切り上げながら、紅白戦での結果を重視。選手は自主練習に力を注いだ。早朝5時からの打撃練習では近隣住民から苦情が来たこともあったが、「選手主導で練習をさせたかった」(黒沢監督)と意図が伝わり始めた。

 「前は素人の集まりだった」(吉村耕司校長)という橘中野球部も、04年4月から本格的な強化を実施。その1期生が庄司ら現3年生だった。黒沢監督は「もう少し、このメンバーと野球ができる。幸せだなぁ」と感慨に浸った。決戦前夜、庄司は準々決勝で敗れた菊川の萩原大起投手(3年)から「頑張れよ」と思いを託された。「恥じない野球をしたい」と「弟」の思いも背負った「兄」が全国の舞台に立つ。【今村健人】

 ◆常葉学園橘

 1963年(昭38)に男子校の橘高等学校として創立された私立校。78年から現校名、97年から男女共学となる。普通科、英数科、音楽科があり、生徒数904人(女子414人)。野球部は学校創立と同時に創部。部員数は45人。所在地は静岡市葵区瀬名2の1の1。吉村耕司校長。