レンジャーズのダルビッシュ有投手とヤンキース田中将大投手が6月23日に実現した投げ合いは、メジャー史上15度目の日本人投手対決だった。

 史上初となった1999年5月7日の伊良部秀輝(ヤンキース)とマック鈴木(マリナーズ)の対決に始まり、途中で対決がまったく起こらなかった年もあったが、昨シーズンは史上最多の3組の対決が実現した。意外なのは、メジャーでプレーした期間にほぼ先発だった吉井理人(98年~02年)と石井一久(02年~05年)が誰とも投げ合いをしていないこと。97年から02年までプレー時期が重なっている野茂英雄と伊良部が一度も対戦しておらず、見てみたかったと今になって思う。

 私自身は、日本人投手同士の対決を5度ほど取材をしたと記憶している。印象深いのは、12年10月3日にヤンキースタジアムでヤンキース黒田博樹とレッドソックス松坂大輔が投げ合ったときのことだ。その日はシーズン最終戦で、ヤンキースはこれで地区優勝が決まるかどうかの重要な一戦。それが伝統のライバルであるレッドソックスとの試合にかかっているというわけで、球場は4万7393人の観客動員を記録し超満員、大変な盛り上がりだった。

 右肘靱帯(じんたい)の手術から復帰したばかりの松坂は苦しい投球が続き、その試合も2本塁打を含む6安打、5失点で2回1/3で降板した。その年はポスティング移籍で入団したときに結んだ6年契約の最終年で、その最終戦がレッドソックス最後の登板になるだろうということが分かっていただけに、松坂にとっても胸に期するものがあった試合だったろう。試合後にクラブハウスで囲みの取材をするため報道陣が集まり、身支度を調える松坂を待つ間、重苦しく沈黙が流れていたのを思い出す。

 黒田はその年、メジャー自己最多でチームでも最多タイの16勝をマークしており、最終戦は7回2失点で、勝ち投手になった試合だった。その1週間後には地区シリーズで9回途中まで投げ勝利投手、さらに中3日でリーグ優勝決定シリーズに投げており、当時36歳にしてまさにローテを背負う柱だった。

 中3日の登板は今なら超一流のエースでも1年に1度あるかないかというくらいで、当時も相当希なことであり、そのタフさと、頼りになるという安心感はすさまじかった。その試合に誰が投げるかは直前まで発表されず、ニューヨークの地元メディアが「誰が投げるんだ」と騒ぐ中、黒田を毎日見ていた私のような一部の日本の記者だけが、その日のルーティーンを見て「明日、中3日で投げるんだな」というのが分かった。ほとんど誰にも気付かれずに黙々と登板前日ルーティーンに取り組む黒田の姿は、今でも鮮明に覚えている。(敬称略)

【水次祥子】(ニッカンスポーツ・コム/MLBコラム「書かなかった取材ノート」)