呼吸器系の病気でアリゾナ州の病院に緊急入院したボクシングの元ヘビー級世界王者のムハマド・アリ氏が4日、米NBCテレビなどで死去したと報じた。74歳。


「蝶のように舞い、蜂のように刺す」華麗なスタイルでファンを魅了

72年に初来日。世界ヘビー級15回戦でマック・フォスターと対戦

来日したアリ氏(当時カシアス・クレイ)は、たっての願いで初顔合わせとなった高見山(右)とおどける(写真は1972年3月)
来日したアリ氏(当時カシアス・クレイ)は、たっての願いで初顔合わせとなった高見山(右)とおどける(写真は1972年3月)
華麗なステップでマック・フォスター(左)の攻めをかわすアリ氏(写真は1972年4月)
華麗なステップでマック・フォスター(左)の攻めをかわすアリ氏(写真は1972年4月)
マック・フォスター(右)を必死の形相で攻めるアリ氏(写真は1972年4月)
マック・フォスター(右)を必死の形相で攻めるアリ氏(写真は1972年4月)

76年アントニオ猪木と異種格闘技戦

両者は試合前からヒートアップ

会見で、松葉杖をプレゼントした猪木(中央右)に詰め寄るアリ氏(写真は1976年6月)
会見で、松葉杖をプレゼントした猪木(中央右)に詰め寄るアリ氏(写真は1976年6月)
調印式でアントニオ猪木(左から3人目)の挑発に熱くなったアリ氏(右から3人目)はマネージャーのフレッド・ブラッシーの制止をかいくぐり暴れ回る。右から2人目は坂口征二(写真は1976年6月)
調印式でアントニオ猪木(左から3人目)の挑発に熱くなったアリ氏(右から3人目)はマネージャーのフレッド・ブラッシーの制止をかいくぐり暴れ回る。右から2人目は坂口征二(写真は1976年6月)

特別ルールで行われた一戦は、3分15回を戦いドロー

注目の一戦が行われた日本武道館には、多くの人が詰めかけた(写真は1976年6月)
注目の一戦が行われた日本武道館には、多くの人が詰めかけた(写真は1976年6月)
異種格闘技戦で猪木(右)に足元を攻められるアリ氏(写真は1976年6月)
異種格闘技戦で猪木(右)に足元を攻められるアリ氏(写真は1976年6月)
猪木(下)の足へのキックを警戒したアリ氏はロープをつかんで宙に浮いた状態でガードポジションをとる(写真は76年6月)
猪木(下)の足へのキックを警戒したアリ氏はロープをつかんで宙に浮いた状態でガードポジションをとる(写真は76年6月)
異種格闘技戦で猪木(左)に左フックを見舞うアリ氏(写真は1976年6月)
異種格闘技戦で猪木(左)に左フックを見舞うアリ氏(写真は1976年6月)
15回を戦い健闘をたたえ合う猪木(右)とアリ氏(写真は1976年6月)
15回を戦い健闘をたたえ合う猪木(右)とアリ氏(写真は1976年6月)

 

引退後に難病のパーキンソン病に侵され、長い闘病生活に

96年アトランタ五輪の開会式で最終聖火ランナーを務める。金メダルを授与される

アトランタ五輪開会式で、パーキンソン病で震える手でトーチを持ち最終聖火ランナーを務めたアリ氏(1996年7月)
アトランタ五輪開会式で、パーキンソン病で震える手でトーチを持ち最終聖火ランナーを務めたアリ氏(1996年7月)
アトランタ五輪開会式でトーチを持ち、最終聖火ランナーを務めたアリ氏(写真は1996年7月)
アトランタ五輪開会式でトーチを持ち、最終聖火ランナーを務めたアリ氏(写真は1996年7月)

 

98年、アントニオ猪木の現役引退試合のスペシャルゲストとして来日

アントニオ猪木引退試合でアリ氏(右)は猪木に花束を贈る(写真は1998年4月)
アントニオ猪木引退試合でアリ氏(右)は猪木に花束を贈る(写真は1998年4月)

 

MLBのセレモニーにもたびたび登場。社会にメッセージを発し続けた

オールスターの開幕セレモニーにアリ氏(中央手前)が登場 それを見ながら明るい表情を見せるイチローと松井秀喜ら(写真は2004年7月)
オールスターの開幕セレモニーにアリ氏(中央手前)が登場 それを見ながら明るい表情を見せるイチローと松井秀喜ら(写真は2004年7月)
ヤンキース対レッドソックス 試合前、セレモニーに参加したアリ氏(中央)にヤンキースの帽子をプレゼントするデレク・ジーター(写真は2009年8月)
ヤンキース対レッドソックス 試合前、セレモニーに参加したアリ氏(中央)にヤンキースの帽子をプレゼントするデレク・ジーター(写真は2009年8月)

 

プロフィル

◆ムハマド・アリ 本名・カシアス・マーセラス・クレイJr.。1942年1月17日、米ケンタッキー州生まれ。60年ローマ五輪のライトヘビー級で金メダル。すぐにプロに転向し、64年に22歳で世界ヘビー級チャンピオンに。9回防衛後の67年にベトナム戦争の徴兵拒否を理由にタイトルをはく奪される。71年の復帰戦で敗れるが、74年にジョージ・フォアマンに勝ち、タイトル復帰を果たす。76年6月26日にアントニオ猪木と格闘技世界一決定戦で対戦。1998年4月4日にアントニオ猪木のプロレスラー現役引退試合のスペシャルゲストとして登場。通算成績61戦56勝5敗。