ビックリした。長州力から電話だ。私の健康を心配してくれていた。越後湯沢のホテルに投宿、その女将(おかみ)が私と日体大の同級生で私が話題に上がったらしい。テレビで元気な様子を見たばかりだったので驚いた。いきなりラリアットを食らったような感じだった。

おちゃめなキャラクターは、プロレスラー長州の全盛期を知るファンからすれば、予想外であろう。社会的現象まで引き起こした大スター。私は、長州力が吉田光雄であった高校生時代から関係をもった。山口県の桜ケ丘高のレスラーであった吉田少年は、恩師の江本孝允監督に連れられて、休みのたびに日体大へ出稽古。当時、私も現役レスラーだった。

江本監督と私は日体大の同級生で仲良し。米国留学から帰国した直後、頼まれて長州に稽古をつけた。高校生の強豪といえども、赤子の手をひねるかの荒稽古、強くするには容赦しないのが鉄則。で、吉田光雄は高校チャンピオンの座に就き、注目されるようになる。

専大に進学した長州力は、メキメキ強くなり全日本の王座をも手中にする。他方、私は大学院へ進み、アフガニスタンのカブール大の教壇に立つ。レスリング界とは縁遠くなり、研究者への道に踏み込む。そこへ専大からの教員としてのスカウト。帰国後、専大入りした。

再び長州力との交流が再開した。興行のない時は、長州は新日本プロレスの若手を引き連れて専大道場にちょくちょく顔を出す。熱心に若手にアマレスの技術を教えていた。プロレスラーに求められるのは、感性と創造力である。そのためにはレスリングの基本を身につける必要がある。長州の指導力も良かった。

プロレス人気が沸騰し、ある出版社から長州力の本を書いて欲しいと依頼される。「長州力野獣宣言」である。以来、プロレスの原稿を書きまくったが、あまり評判がよくなかった。辛口すぎたらしいが、私の研究のフィールドは確実に広がった。最初に縁をもったプロレスラー長州力のおかげでもあろう。