どんな世界でもプロは厳しい。大相撲も研修を新入門者力士に実施しているが、習字を教えたり独特のカリキュラムで立派な力士を育成しようとしている。プロ野球の新人研修会は、社会人として、アスリートとしての心得等の多くの講座に130人の参加で行われたという。

近年、特にプロ選手たちが、国民の模範となるように行動せねばならなくなってきた。ハメを外すことは許されず、聖人であるかの振る舞いが求められる。窮屈な世界なのだ。有名になるということは、自由が制限されて人の目を気にせねばならない立場に立つこと。

プロ選手には、市井の人たちに夢と希望、勇気、元気を与える仕事に就いたという自覚が必要だ。大相撲界は、ちょっとでも横道にそれると厳罰で臨むようになった。子どもたちの教育上の問題もあれば、政府から税の優遇措置を受けているという手前もあろうか。

私の後輩(スポーツ心理学者)が、うれしそうに電話をくれた。「プロ野球の新人研修会で話をすることになりました」という。ピッタリの適任者。球界も、きちんと講師を選考しているのだと感心した。ならば、私にも依頼があっていいのではないかと嫉妬する。スポーツ人類学の側面から、野球の本質を教えたいのだ。

「ヒトしか石を投げる動物はいない。これを投石本能といい、人類が地球を支配する原点となる。投石本能を最も具現化しているスポーツは野球である」。こんな話をしたい。野球選手としての誇りを植えつける役目は、私にピッタリと自負しているが、声がかからないのは悔しい。

故人になられた松原事務局長(プロ野球選手会)の要請で、日体大はリカレント入学制度を設けた。平均6年で戦力外選手になる球界だけに、やり直しのために門戸を開いたが、まだ1人も受験者はいない。新人研修会では、戦力外になった時、引退した時、いかに生きるべきか、これも教えたいと思う。未来はバラ色ばかりではないし、ケガだってするのだ。