さらば平成、ありがとう平成。30余年にわたる平成が終わります。あんなことがありました。こんなこともありました。プロ&アマ野球、サッカー、芸能、社会、中央競馬…と平成を通してがっつり取材してきた日刊スポーツ大阪本社のベテラン記者陣が、それぞれの分野での取材を振り返りながら、平成を語ります。

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平成7年(95年)1月17日の阪神・淡路大震災以降、実家のある神戸から阪急の西宮北口まで徒歩で何度も往復した。大阪からの電車が到達する最西端が西宮北口だったからだ。電車で15分ほどの道程が徒歩だと片道3時間。大阪と神戸を結ぶ唯一の道路となっていた国道2号線は、どこまで続くか分からない渋滞の列。歩く方が早かった。

原稿も写真も抱えていたが、送る手段がなかった。当時出回り始めた携帯電話は何の役にも立たない。公衆電話の長蛇の列。ようやく自分の番となっても、つながることはほぼない。後ろの人に譲っては歩くを繰り返す。店なんて開いておらず、お金が何の用も足さないのは後にも先にもこの時だけだ。

悲しみにくれる原稿か、少しでも前向きな原稿か、デスクとよく衝突した。実家を含め、ずっと被災地にいる私は前者、そしてデスクは後者だった。どちらが正解か、今も分からない。東日本大震災の時、東京でデスクをしていたが、やはり分からないままだ。

ただひとつ言えることは、語り継ぐ必然だろう。震災から8年後、被害が大きかった地域に転居した。いくつか残っていた付近の傷痕も15年がたち、いつの間にか、すっかり消えている。新入社員も震災後生まれがほとんどとなった。それでも記憶をたどり、平成の重大事として令和につないでいきたい。私がたどり着けなかった正解を託す意味でも。