東京選挙区の自民新人、生稲晃子氏(54)は9日、東京・銀座で最後の演説を行った。最初は安倍晋三元首相への黙とう約30秒から始まった。全員が左腕に喪章をつけ、「弔い合戦」とばかりに最後の支持を訴えた。

安倍氏の自宅に弔問に訪れたその足で応援に駆けつけた下村博文選対本部長(68)は、「昨日は自粛していたが、選挙運動をしなければテロに負けたことになる。自民党にとって、負けられない」と、言葉に力を込めた。

ここから、応援弁士の演説が熱を帯びる。自民党東京都連最高顧問の深谷隆司氏(86)は、「選挙戦で黙とうをささげたのは、大平正芳さんが亡くなった1980年の衆参同日選挙以来。安倍元首相の思いに報いるには、生稲候補を勝たせることだ」と力説した。さらに、萩生田光一経産相(58)は、「安倍元首相が見いだした最後の国会議員候補。皆さん、安倍元首相の政治センス、先見性、人を見いだす力が正しかったと証明してほしい」とした。

生稲氏は6年前、安倍内閣の諮問機関「働き方改革実現会議」の有識者委員に選ばれた。42歳で乳がんの告知を受け、2度の再発と5回の手術を受けた。仕事をしながら闘病してきた経験から、治療と仕事を両立させるため、患者に寄り添いながら医療機関、勤務先と調整して働けるよう、支援コーディネーターを配置する「トライアングル型支援」を提言、実現させたことが政治を志すきっかけとなった。

何も分からないまま、今年4月に立候補を表明。安倍元首相はことあるごとに応援弁士として立ってくれた。演説が苦手な生稲氏に、「大丈夫。慣れるから。私も最初、苦手だったんですよ」と、やさしく話しかけてくれたという。

本来なら、この演説会にも応援演説をしてくれる予定だった。夏の夕焼け空と裏腹に、冒頭から今にも泣きだしそうな表情をしながら、「かなわなくてとても残念です。安倍元首相の思いをしっかり受け継いでいきたい。勝たせてください」と、お願いしていた。