3冠馬ナリタブライアンなど多くのG1馬を管理した大久保正陽(おおくぼ・まさあき)・JRA元調教師が21日、誤嚥(ごえん)性肺炎のため亡くなった。87歳だった。

大久保正陽元調教師は、1935年(昭10)8月23日、兵庫県生まれ。父の亀治(亀吉)さんは、尾形藤吉門下の元騎手で元調教師。祖父の福松さんは、「伝説の馬術師」とされる函館大経の弟子だった。弟の光康さんも元騎手で元調教師。息子の龍志氏は現在調教師。美浦に所属していた洋吉・元調教師はいとこ。今年デビュー2年目の大久保友雅騎手(19=池添学)は孫になる。

1957年に騎手となった正陽元師は、70年に騎手を引退し、71年に調教師免許を取得。開業は73年で、同年3月25日の阪神10Rエリモキングで初勝利を挙げた。調教師として通算7007戦597勝、うち重賞50勝、G1級勝利では11勝を挙げた。

76年天皇賞・春をエリモジョージで制して、G1級レース初勝利。92年にはメジロパーマーで宝塚記念と有馬記念の両グランプリを制覇。93年にはナリタタイシンで皐月賞を制した。そして、同年夏の函館でナリタブライアンをデビューさせた。ナリタブライアンは朝日杯3歳Sを制すと、出走するたびに強さを増し、94年皐月賞に勝利。重賞5連勝でダービーも制した。秋には、菊花賞にも勝って、史上5頭目の3冠馬となった。

96年にナリタブライアンが引退した後の97年には、シルクジャスティスで有馬記念を制した。2006年に調教師を引退していた。

息子の龍志師は「実績はすごいですし、人を何人も育て、亡くなってからあらためてでかかったなと思います。(調教師を)引退した時も寂しさを感じましたけど、生きていれば顔は見れますから。ただ、親との別れは誰でもあるものなので。この世界で師匠は一人、おやじだけですから。見習い調教師(技術調教師)としてはいろいろと行きましたが、大久保厩舎で勉強して、試験に受かって、これ(大久保厩舎)一本できました。師匠として、おやじとして、尊敬するところはいっぱいある。在籍している時にブライアンみたいな馬を間近で見させてもらったことも大きな財産になっていると思います。(あらためて父親の存在は)意識しているというか、超えていかないと、という気持ちもありますが、超えられないでかい山だなという気持ちもあります」とコメントを発表した。