2017年4月に競馬担当になった。取材の中心が栗東トレセンだったこともあり、恥ずかしながら柴田善臣騎手を取材した記憶がない。ただ、僕個人の競馬史の随所に同騎手は登場する。

競馬に興味を持ち始めたころ。大阪球場の中にあったウインズ難波に“潜入”して見た91年桜花賞。快勝したシスタートウショウよりも、場内実況で甲高く響いた「ヤマノカサブランカが上がってきた」という声が記憶に残る。12番人気から2着へ導いたのが、柴田善臣騎手だった。

その7年後の98年11月1日。入社1年目でゴルフ担当だった僕は、兵庫県内のゴルフ場にいた。当時、男子ツアーで、絶対王者だった尾崎将司が64をマークして8打差を逆転して優勝。初めて1面記事を書くことになるかも…と焦る思いで動き回っていた。ひととおり取材した後、プレスルームに戻ると、耳を疑うニュースが飛び込んできた。「サイレンススズカ、故障」。東京競馬場の重い雰囲気が、兵庫まで伝わってくるようだった。毎週、馬券を買っていた僕も、もちろん落胆した。そんな天皇賞・秋の勝利馬が、オフサイドトラップ。鞍上の柴田善臣騎手は、道中はるか前方にいた伝説の逃げ馬のアクシデントにも動じず、直線でステッキを巧みに操り、G1星を引き寄せた。

14年6月8日は、結婚したばかりの妻とハワイ旅行の最中だった。夜、妻がエステに出かけたスキをみて、ワイキキビーチを望むホテルの部屋でノートパソコンを開き、安田記念をチェック。東京競馬場はびっくりするような不良馬場だったが、その中を柴田善臣騎手が乗ったジャスタウェイが、鼻差の接戦を制していた。2着は16番人気グランプリボス。PATで購入していた馬券は無残に散ったが、妻には悟られないように旅行を続けたことを覚えている。

この3レースとも馬連万馬券(91年桜花賞当時は馬連はなく、枠連万馬券)で、いずれの馬券も取ることはできなかったが、今も確かな記憶にあるだけで“もうけもの”だろう。

そんな思い出が長きに渡って脳裏に刻まれているのも、柴田善臣騎手が長く現役を続けてくれたからこそ。現役生活42年、お疲れさまでした。たくさんの思い出をありがとうございました。【木村有三】