新元号の出典となったことで注目の万葉集。ならば、旬の今だからこそと奈良に足を運んだ。奈良から天理、桜井を経て高田に至る桜井線は明治時代に開通した歴史ある路線。100年以上の時を物語るかのように「万葉まほろば線」の愛称が付けられていて、沿線には名所、旧跡が多い。そして「万葉」の名にふさわしく、難読駅だらけ路線でもある。


<1>JR奈良駅からスタート。旧奈良駅は観光案内所となっている
<1>JR奈良駅からスタート。旧奈良駅は観光案内所となっている

古めの写真ばかりを取り上げて記事化していたが、さすがに「取材」もしなければいけないだろう。万葉の響きは新元号が発表された今にピッタリ。「関西1デイパス」(※1)を準備して、いざ出発だ。

開通した「おおさか東線」に初乗車して、起点は奈良駅(写真<1>)。解体の危機を免れて観光案内所となっている旧奈良駅を見ながらホームに行くと、桜井線の主力となっている105系(※2)がやって来た(写真<2>)。行き先を示す方向幕を手動でクルクル回す光景がいいね。


<2>桜井線の主力は105系
<2>桜井線の主力は105系

2両編成の車内はかなり混み合っていた。電車などの写真を撮影してから乗り込むと当然座れないが、難読駅巡りの旅は、すぐ下車するので問題ない。ただ順番にたどっていく旅にはなりません。

昼間の桜井線は30分に1本の運行。桜井から高田の間は1時間に1本と、さらに少なくなるため、1駅ずつたどっていては膨大な時間がかかる。そこで進んだり戻ったりしながら、乗りつぶしをしていくのだ。

メディア的にこの「戦法」を最初に発信したのは日本全国全駅下車を達成した(これは本当にすごいと思う)横見浩彦さんだと私的には認識しているが、例えばA~Gまで7つの駅があり、30分間隔の運行だとしよう。A駅から1駅ずつ進んでいくと待ち時間だけで3時間かかってしまうが、各駅を巡りたい時は各駅の時刻表を調べるのだ。

A駅からの列車とG駅からの列車が必ずすれ違うはず。桜井線のように単線の場合は列車交換(すれ違い)が必要で、B駅~F駅の時刻表を調べれば、ほぼ同時刻の発車となるので交換駅は簡単に分かる。それがD駅だとすると、C駅で下車して待っていれば、すぐにB駅へ向かう列車が来るというわけだ。

今回は全駅下車するわけではないが、天理で交換するようなので、ひとつ手前の櫟本駅で下りた。いきなり旅のメーンディッシュとなってしまうのだけど、難読駅というより「難書駅」だよね。建設された明治31年(1898年)の姿をそのまま残すすてきな木造駅舎(写真<3><4>)は桜と駅名標のコントラストが美しかったなぁ(写真<5>)。そして、その駅名標が答えである(写真<6>)。うーん、私には読めない。イチイの木の漢字を知っていれば分かるかもしれないが「いちのもと」とはちょっと…。


<3>120年の歴史を誇る木造駅舎が残る櫟本駅
<3>120年の歴史を誇る木造駅舎が残る櫟本駅
<4>櫟本駅の財産票によると建設は明治31年
<4>櫟本駅の財産票によると建設は明治31年
<5>櫟本駅のホームは桜で彩られていた
<5>櫟本駅のホームは桜で彩られていた
<6>駅名は「いちのもと」
<6>駅名は「いちのもと」

お次は1駅戻る。櫟本の駅名標で答えは分かっているようなものだけど「帯解駅」である。こちらも櫟本と同期の木造駅舎(写真<7>)。近くには安産祈願で有名な帯解寺がある(写真<8>)ので、ご存じの方もいらっしゃるかもしれないが「おびとけ」(写真<9>)と読めるような読めないような。


<7>帯解駅も櫟本駅と同じ年の木造駅舎
<7>帯解駅も櫟本駅と同じ年の木造駅舎
<8>安産祈願で有名な帯解寺は駅からすぐのところにある
<8>安産祈願で有名な帯解寺は駅からすぐのところにある
<9>駅名は「おびとけ」
<9>駅名は「おびとけ」

ここから再びグンと進んで、到着したのは「巻向駅」。歴史ある桜井線の中で唯一、昭和以降に開業した駅で駅舎はなく、すれ違いもできない、いわゆる単式ホーム。これだけでも難しい駅名だけど、本来はこんな字を充てるとは全く知らなかった(写真<10>)。(次回に続く)【高木茂久】


<10>巻向駅の本来の「巻」が、こんな難しい文字だとは知らなかった
<10>巻向駅の本来の「巻」が、こんな難しい文字だとは知らなかった

(※1)JR西日本のフリー乗車券。3600円で大都市近郊区間とほぼ同じエリアが乗り降り自由となる。高野山チケットなどの特典あり。

(※2)80年代の国鉄末期にローカル線用として製造された。JR東日本からは姿を消し、現在はJR西日本の一部地域にのみ残る。