深い渓谷を分け入っていくレールに多くの「なにもない駅」。鉄道ファンにも支持率の高い飯田線。個人的には何度乗っても降りても飽きない路線だが、降りたことのない歴史ある駅舎が解体されるとの報を受け、これは今のうちに訪問しなければならないと新幹線に飛び乗った。ついでに「どうしてもかなえたかった」夢にもチャレンジ。やはり「何度訪れても飽きない」路線だった。



飯田線について説明し始めると、おそろしく長くなるので別項(※1)で概要だけ触れる。今回が5度目の訪問だが、全線を通して乗車したのは1度だけ。他はピンポイントで訪れている。電車の本数が少ないので、なかなかあれもこれもといかないのだ。

今回のモチベーションは「湯谷温泉駅(愛知県)の木造駅舎が7月中にも解体される」との報道だった。これはまずい。早速、旅支度である。大阪駅で券売機の前に立った時、ちょっとドキドキした。今回終点とする駅までの切符を買ったことがなかったのだ。おー、買えたよ、買えたよ(あたりまえだけど)と興奮したためか、券売機の画面をうまく撮れなかった(写真〈1〉〈2〉)。


〈1〉券売機の画面
〈1〉券売機の画面
〈2〉大阪~小和田の往復乗車券を購入
〈2〉大阪~小和田の往復乗車券を購入

豊橋駅近くのホテルに泊まった。新城駅で途中下車しながら湯谷温泉駅に到着。ホームは1面しかないが特急停車駅。豊橋からは40キロもなく、特急なら1時間もかからない。

2階建ての木造駅舎。大正時代の建築で年季が入っている(写真〈3〉~〈5〉)。入り口はふさがれており現役感はあまりないが、つい数年前までは有人駅だった。もともと「ホテル」として建てられた。駅を降りればすぐ温泉街(写真〈6〉)。駅とともに湯谷温泉も発展してきたともいえる。日本中に残る木造駅舎だが、2階建ては、そう多くない。以前は土産物店にもなっていて、温泉の玄関であり、証人だったのだろう。なくなってしまうのが惜しい。


〈3〉ホームを降りると木造駅舎が迎えてくれる
〈3〉ホームを降りると木造駅舎が迎えてくれる
〈4〉駅舎内の入り口はふさがれて入れないようになっている
〈4〉駅舎内の入り口はふさがれて入れないようになっている
〈5〉かつては宿だった湯谷温泉駅
〈5〉かつては宿だった湯谷温泉駅
〈6〉駅を降りるとすぐ温泉街がある
〈6〉駅を降りるとすぐ温泉街がある

電車を乗り継ぎ、さらに奥へと向かう(写真〈7〉)。さらに40キロの旅を経て向かうのは小和田駅だ。歴史の経緯があるとはいえ、途中の閑散区間に乗っていると、電化されているのが奇跡的な路線だとも感じる。もしかすると小和田駅は、その象徴かもしれない。


〈7〉湯谷温泉は特急停車駅。伊那路で奥へと進む
〈7〉湯谷温泉は特急停車駅。伊那路で奥へと進む

実は「1人で小和田駅を満喫したい」が念願のひとつだった。過去2回訪れたが実現しなかった。ポツンと山中に残された形になっていた駅にロイヤルウエディングで多くの人が訪れたのは25年以上前のことだ。私が初訪問したのは2010年で2回目が12年。まだ熱は十分残っていた。

それから歳月は流れた。こういう駅はぜひ1人で味わいたいものだ。今回はどうだろう。天気は悪く、青春18きっぷの季節でもない。車内を見渡すと乗客は私を含めて10人ほど。鉄道ファンぽいお客さんもいる。「降りるな、降りるな」と念じた。そして願いが通じたのか、ホームに降り立ったのは私1人(写真〈8〉)。いやいや、これはうれしかった。山中に入り、雨は強くなっていたが、そんなことはどうでもいいのだ。まずは駅舎に行こう。そうすれば雨宿りもできる(写真〈9〉〈10〉)。


〈8〉小和田駅で降り立ったのは私1人だった
〈8〉小和田駅で降り立ったのは私1人だった
〈9〉戦前からの木造駅舎が残る小和田駅
〈9〉戦前からの木造駅舎が残る小和田駅
〈10〉小和田駅の入り口
〈10〉小和田駅の入り口

だが駅舎には「先客」がいたのである。入って、かさをたたんだ瞬間、「ん?」。顔に何か当たった。「キャー」と叫びそうになった。蛾(が)だった。その他、いろいろな虫さんが複数舞っていらっしゃる。ヒチコックの映画ほどではないが、とにかく駅舎に長時間とどまるのは無理だ。

昆虫の生態は全く知らないが、おそらく雨宿りされていたのだろう。そこにのこのこ私がやってきたのだから「なんやコイツ」てなもんだ。まぁ、しかしこれも駅巡りの醍醐味(だいごみ)のひとつでもある。

過去のテレビニュースでさんざん流れた場所を味わい、やって来た上り電車に乗る(写真〈11〉~〈14〉)。朝に出会った車掌さんだった。午前中、小和田行きの切符を見せているので、さすがに覚えてくれていたようだ。「お帰りなさい」。口には出さなかったが、笑顔で迎えてくれた。私も軽く会釈をしてこたえた。こういうのがあるから鉄道旅って止められないよね(写真〈15〉)。【高木茂久】


〈11〉小和田駅は静岡、愛知、長野それぞれの県境に位置する
〈11〉小和田駅は静岡、愛知、長野それぞれの県境に位置する
〈12〉多くのカップルが記念撮影を行った
〈12〉多くのカップルが記念撮影を行った
〈13〉「花嫁号」のヘッドマークも飾られている
〈13〉「花嫁号」のヘッドマークも飾られている
〈14〉古い駅名標も残る
〈14〉古い駅名標も残る
〈15〉山中の駅は、やや肌寒かった
〈15〉山中の駅は、やや肌寒かった

(※1)愛知県の豊橋と長野県の辰野を結ぶ約200キロの路線。もともとは3つの私鉄だったが、戦時中に国鉄路線として統合された。統合前から電化されていたが、当時の私鉄規格で駅も多いため、電車の割にはスピードが出ない。ダム建設のために付近の集落が沈んだ駅では、周囲に何もない。小和田駅もこれに該当する。駅のほかにも「名鉄と線路共有」「渡らずの鉄橋」など見どころは多い。