大阪府の東から京都府の南にかけて走る片町線は、通勤通学の足として、連日多くの乗客を運んでいる。明治期に開業した歴史ある路線だが、全線電化されたのはJR西日本発足後に学研都市線と愛称が付いてからのことで、京都側の大半は今も単線区間である。ただ近鉄京都線と並行するその区間は見どころも多い。週末のフリーきっぷを手に現地を訪れた。(訪問は11月22日)
厳密には起点駅は木津で終点が京橋だが、たどったコースは逆向き。京橋からスタートして一気に同志社前へと向かう(写真1)。朝夕のラッシュ時以外は、JR東西線と直通で運行しているため、東海道本線、山陽本線や福知山線からの電車がどんどんやって来る。西明石や篠山口からも直通電車が入ってくるが、昼間は同志社前までが15分に1本の運行で、そこから先の木津まで到達する電車は30分に1本となるため、乗り方にも工夫が必要だ。
ちなみに京都府に入って最初の駅となる松井山手から東は単線区間となる。JR東西線という大阪市のど真ん中を走る電車が途中から単線になるとは、もしかすると、いつもJR東西線部分だけ乗っている人は知らないかもしれない。もっというと平成を迎えるまで京都府側は非電化区間だった。そんな事情もあるため、例によって進んで戻ってを繰り返しながら駅を回ろう。ただし原稿上は順番に紹介していく。
同志社前は文字通り、同志社大学京田辺キャンパスの最寄り駅(写真2)。
JR移管まで1年となった86年に新設されたが、大学名が駅名になるのは国鉄としては画期的なことだった。その駅には鉄道遺産が残っている。現在は1面1線の棒状ホームだが、向かいには10年前まで使用していたホームが残る。学生の利用者が多いことから折り返し電車が設定されたため89年に新設されたホームだ。(写真3、4)
だが当時のホームは4両編成分しかなく、7両の東側限界である1駅大阪寄りの京田辺で切り離しまたは増結を行っていた。そのため同志社前始発の電車は増結のため、いきなり1駅目の京田辺で長時間の停車を強いられていた。さすがに不便で沿線人口も増えたことから、10年前に全線の駅が7両対応となったが、その際、折り返しホームは延伸されることなく廃止されてしまった。わずか20年しか使われなかったが、構内踏切を渡って通学した方にとっては思い出の多いホームではないだろうか。
続くJR三山木駅はロータリーをはさんで向かいに近鉄の三山木駅がある(写真5、6)。
ともに高架駅。片町線の京田辺からJRと近鉄の駅が並行して走るが、JRの駅名が京田辺→同志社前→JR三山木→下狛→祝園なのに対し近鉄の乗り換えとなるべき駅は新田辺→興戸→三山木→狛田→新祝園。興戸以外は微妙に似ているようだが同駅名はひとつもない。
阪神間ではかなり離れているにもかかわらず、阪急、阪神、JRで平然と同じ駅名が付いているが、こちらはしっかり区別されているようだ。三山木については、もともとの上田辺という駅を「JR三山木」に改名したぐらいだ。そして私がお気に入りの下狛駅。駅舎もない棒状1面の無人駅で狭いスペースに器用に設置されているが、ここに7両編成の通勤型ロングシート電車が停車する姿は壮観である(写真7~10)。
祝園は近鉄の新祝園と隣接していて橋上通路でつながっていて同じ駅名にしてもいいかとも思うが、昭和初期に近鉄の駅が設置された時から新祝園。JRと近鉄で同駅名としないのは、このころから始まっていたようだ。精華町の中心駅だが住所は相楽郡精華町(そうらくぐん・せいかちょう)の祝園(ほうその)駅。なかなかの難読である(写真11~13)。
やがて電車は木津に到着。基本的に片町線の電車はここで折り返すが、1駅向こうの奈良へは関西本線や奈良線での接続が考慮されたダイヤとなっている(写真14、15)。
近鉄との並走区間ではカラフルな近鉄特急のいろいろな種別を眺めることができて楽しい。一方のこちら側は通勤電車のみだが、そのギャップがまたいいのである。【高木茂久】