【村上遥奈<下>】涙の一週間を越えて…「ゼロから」の挑戦 新天地岡山で夢の続きを

日刊スポーツ・プレミアムでは毎週月曜に「氷現者」と題し、フィギュアスケートに関わる人物のルーツや思いに迫っています。

シリーズ第67弾は村上遥奈(17)が登場しています。海外育ちの異色スケーターは、8歳で日本へ渡り競技力を磨いてきました。ペアとシングルの両方で国際舞台を経験し、今季からは国籍を生まれ故郷のオーストラリアへ変更。岡山と大阪のダブル拠点で、新たな挑戦へ歩み始めています。

3回連載の最終回となる下編では、ペア解散後に再びシングルでつかんだ世界への切符、競技人生で初めて味わった挫折、そして「ゼロから」の挑戦を選んだ現在までを追います。(本文中敬称略)

フィギュア

村上遥奈(むらかみ・はるな) 2008年(平20)7月30日、オーストラリア・パース生まれ。5歳の時に競技を始め、8歳で日本に渡って濱田美栄に師事。2022-23年シーズンに森口澄士とのペア「はるすみ」を結成し、ペアで22年ジュニア・グランプリ(GP)ファイナル、23年世界ジュニア選手権でともに4位。23年春に解散し、再びシングルに専念した同年のジュニアGPオーストリア大会で銀メダル獲得。25年トルコ大会で自己ベストとなる合計186・22点で4位。25-26年シーズンから木下アカデミーを離れ、国籍をオーストラリアに変更。長光歌子、林祐輔に師事する。身長158センチ。趣味はメイク、音楽鑑賞。

振付師のケイトリン・ウィーバー(右)と写真に納まる村上遥奈(本人提供)

振付師のケイトリン・ウィーバー(右)と写真に納まる村上遥奈(本人提供)

もう一度、世界へ

ペアとの濃密な1年間に終止符を打った2023年春。村上は再び、シングル一本で歩み始めた。

9月。迎えたジュニア・グランプリシリーズ(GP)第2戦オーストリア大会。ペアでは何度も経験を積んだ海外の舞台だが、シングルでは初めての国際大会。1人だけで戻ってこられたことに、不思議なほど心が弾んだ。

「シングルで戻ってこられたうれしさもあったし、上手な海外の同じ年の選手たちを、今度はシングルで見られるうれしさがありました」

中でも、強烈な印象を残した選手がいた。韓国のシン・ジアだった。同じ2008年生まれながら、前年までの世界ジュニア選手権で2大会連続の銀メダルを獲得していた憧れの存在だった。

シン・ジア(右)と写真に納まる村上遥奈(本人提供)

シン・ジア(右)と写真に納まる村上遥奈(本人提供)

フリー当日朝の公式練習。同じリンクで滑る姿を目の当たりにし、そのスケーティングに目を奪われた。他の選手とは、何もかもが違っているように見えた。

「本当に上手だなって思って。その時からずっとファンみたいな感じで、ジアちゃんみたいになりたいって思っています」

理想の選手を見つけられたこともうれしかったし、何より自分も同じ舞台に立てていることに感動を覚えた。思わず写真も撮ってもらった。

「とりあえず楽しもう」。そんな気持ちで臨んだ大会だった。

フリーでは、直前に演技を終えたシン・ジアへ大歓声が送られた。その熱気をリンク越しに感じながらも、自分の演技だけに集中した。

結果は銀メダルだった。優勝したシン・ジアとは30点以上の差をつけられたが、その差以上に、世界で戦えたことへの誇らしさに胸がいっぱいだった。

「自分も全然取れるって思ってなかったし、狙っていったわけでもなかったので。いい演技ができて2位になれて、すごくびっくりしました」

ペアが教えてくれた世界で活躍するということ。その夢の続きを、何も迷うことなく、歩き始めていた。

人生で初めて「やめよう」と思った

だが、順風満帆にはいかなかった。

11月の全日本ジュニア選手権前日。拠点とする宇治市の木下アカデミーアイスアリーナでの練習中、突然、腰に違和感を覚えた。

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スポーツ

勝部晃多Kota Katsube

Shimane

島根県松江市生まれ。2021年4月入社。高校野球の神奈川担当などを経て、同年10月からスポーツ部に配属。バトル班として新日本プロレスやRIZINなどを担当し、故アントニオ猪木さんへの単独インタビューや武藤敬司氏の引退試合、那須川天心―武尊などを取材した。 23年2月から五輪班に移り、夏季競技はバレーボールを中心に担当。同年秋のW杯や24年夏のVNLなど。冬季競技はフィギュアスケートをメインに務め、全日本選手権は2年連続で取材中。X(旧ツイッター)のアカウントは「@kotakatsube」。