公共交通機関を利用する山陰本線の最閑散区間、益田~長門市の全17駅訪問は山口県に入った。まずはこの区間の途中駅では最も規模が大きい東萩を目指すが、鉄道とバスをつないでいく道中で、とある疑問があった。(訪問は11月4、5日)

◆(徒歩)江崎駅13時40分ごろ→萩阿武商工会前停留所13時55分ごろ

初めての地であってもバス停から駅へ行くのは、それほど心配ない。たとえ待合所だけの棒状駅でも、それなりの規模があって近くの道路には駅への案内看板があることが多い。ただその逆は不安でいっぱいとなる。停留所がちょっと引っ込んだところにあったり、一般的にイメージするものではないことも、しばしばある。線路や駅から離れている場合はなおさらだ。江崎駅に着いてバスの発車時間まで約30分。距離的には余裕だが、途中で折れる道に間違いないか慎重に歩いて到着。(写真1、2)

〈1〉10分ちょっと歩いてバス停に到着
〈1〉10分ちょっと歩いてバス停に到着
〈2〉1日3本の須佐行きに間に合った
〈2〉1日3本の須佐行きに間に合った

着いてみると警察署や銀行店舗があり、停留所名の施設もある。国道に沿ったこのあたりから、バスがグルリと寄り道する江崎港まで街が広がっているようだ。1日3本のうちの1本に無事乗車して須佐に向かう。

◆(バス)萩阿武商工会前停留所14時4分→須佐駅前14時17分

今回、旅程を組む時点から不思議に思っていたことがあった。乗ってきたバスは島根県の益田と山口県の須佐を結んでいる。そして、このあたりは現在、山口県のバス会社は入っていないようである。つまり須佐から西に向かうバス路線は途切れているのだ(以前は萩・石見空港に向かう路線があったらしいが今はなくなっている)。

私の「バス常識」では地方の路線バスというのは地域単位や県単位で完結することがほとんどで、だからこそ県境をバスで越えるのは難易度が高い。さらに言うと走っているのは他県のバス会社のみというのは珍しい例である。そんなことを思っているうちにバスは須佐駅に到着。旧須佐町(現萩市)の中心駅で大きな駅舎で駅前も充実している。名産はイカで、駅に隣接して、いかマルシェがあり、イカはもちろん海産物や野菜も販売している。できるだけ荷物を増やしたくないローカル駅訪問旅でなければ(いつもそうだが)、土産に買って舌鼓を打ちたいところだ。(写真3~5)

〈3〉須佐はいかマルシェも隣接して大きな駅となっている
〈3〉須佐はいかマルシェも隣接して大きな駅となっている
〈4〉須佐の駅名標
〈4〉須佐の駅名標
〈5〉須佐はかつての急行停車駅でもあった
〈5〉須佐はかつての急行停車駅でもあった

駅でウロウロしているうちに観光名所として「須佐歴史民俗資料館」があることを知る。訪問する時間はなかったが、調べると、かつて益田一帯を治めていた益田氏が後に毛利氏に仕え、関ケ原の戦いで毛利氏が厳封された際、須佐に移った。そんな歴史的経緯もあって、旧田万川町、旧須佐町は益田と結びつきが強いようだ。

と、自分を納得させたところで、まだ15時にもなっていないが、益田に戻ることに。このまま萩方面へ行ければいいが、次の列車は18時21分と約4時間後。前述した通り、先に行くバスもないので、ここで手詰まり。益田に戻るのは効率が悪い気もするが、早めに戻ると早くからビールが飲めるのでいいだろう(笑い)。

◆益田7時50分→木与8時40分 

ゆっくりのスタートとなった。益田発は5時56分、6時30分に次いで3本目。貴重な午前の4本のうちの3本目で遅い感じもするが、私の調べでは途中で収束するので、しっかり朝食をいただいて出発しよう。(写真6)

〈6〉益田駅から出発。長門市方面は普通のみの運行
〈6〉益田駅から出発。長門市方面は普通のみの運行

ダイヤの都合上、須佐から宇田郷を飛び越えて木与で下車。コトコト50分揺られて到着。何気に益田から40キロも離れている。1日1本の折り返し列車が設定されている駅なので楽しみにしていたが、まず2面2線のホームで降りて面食らった。フェンスの切れ目が出口のようだが、跨(こ)線橋も構内踏切も見当たらず、駅舎のある向かいホームにどうやって行けば良いのか分からない。25分後の列車で宇田郷に戻らなければならないので、ちょっと焦った。(写真7~9)

〈7〉木与に到着したキハ40
〈7〉木与に到着したキハ40
〈8〉木与の駅名標
〈8〉木与の駅名標
〈9〉下りホームから外に出る空間はここだけ
〈9〉下りホームから外に出る空間はここだけ

とにかく出口から歩いていくしかないので進んでいくと、線路の下を行く道路というか通路が登場。公道のようだが、ここを回り込むのが正式ルートらしい。駅舎にその旨が掲示されていた。駅舎はコンクリート製。ちなみに折り返し設定がありながら、1日の利用者はここ10年以上、ずっと3、4人以下の無人駅である。(写真10、11)

〈10〉駅の外にある道路で上りホームと下りホームを移動する
〈10〉駅の外にある道路で上りホームと下りホームを移動する
〈11〉木与はコンクリート駅舎
〈11〉木与はコンクリート駅舎

◆木与9時5分→宇田郷9時12分 

ある意味、本日の重要駅のひとつ。ただ最初に乗り越した際に車窓をじっくり見たので状況は分かっている。飯浦とは別の意味でシュールである。海沿いにあるのは、かつての木造駅舎を解体した後に設置された簡易駅。これだけなら、よく見かける光景だが、海沿いの駅から見えるのは海ではなく、巨大な壁である。おそらく暴風壁だと思われるが、これは景色とは言えないだろう。そして周囲に何もない。この環境で次の列車を1時間待つことになる。(写真12、13)【高木茂久】

〈12〉宇田郷に到着。目の前は海だが壁で見えない
〈12〉宇田郷に到着。目の前は海だが壁で見えない
〈13〉かつて駅舎があった場所に簡易駅舎となる待合室が設置されている
〈13〉かつて駅舎があった場所に簡易駅舎となる待合室が設置されている

<日本初の時刻表!>

須佐駅前の石碑に目がとまった。恥ずかしながら初めて知ったのだが、須佐出身の明治の実業家、手塚猛昌(たけまさ)という方が1894年10月5日に刊行した「汽車汽船旅行案内」が日本初の月間時刻表。当時、日本各地の時刻表は現地でしか手に入らず、入手しても古いものだったりして不便であることから、英国の例を研究しながら発刊に至った。全国の時刻表を集めた当時としては画期的なものだった。そのような経緯から「時刻表記念日」は10月5日となっている。彼が亡くなった翌年に須佐~宇田郷間が開通し、山陰本線が全通した。(写真14)

〈14〉須佐の駅前にある石碑
〈14〉須佐の駅前にある石碑