日本釣振興会が進めている「釣りを通じた環境学習」が、全国的な広がりを見せている。小学生らを対象に身近な海や川、湖沼の魚族資源、水辺の環境、安全対策の啓発などを座学とフィールドワークで行う、総合学習だ。2021年(令3)に横浜市内の小学校からスタート。翌22年川崎市、三浦市と同じ神奈川県内に拡大し、首都圏へ同心円状に広がった。今年はすでに17回開催しており、27年までに47都道府県での展開を目指している。
座学とフィールドワーク
先月、都内の小学校で行われた授業の展開例を挙げてみよう。講師役が東京湾で釣れる魚の画像を次々と出していく。マダイ、アジ、タチウオなど、最初は誰もが知っている魚から始まる。次第にアナゴ、メゴチ、アイナメなど、釣りではあまりお目にかからなくなった魚を見せていく。
昔の東京湾がどうなっていたかも古地図で見せる。16世紀終盤、小田原征伐の際に豊臣秀吉の命令で江戸に入ることになった徳川家康の時代、今の日比谷あたりまでが海であったことなどを話す。そこから、江戸前の魚へと発展させていく。
30年ほど前までの東京湾は、「春告魚」のメバル、「花見ガレイ」「サクラダイ」から始まり、照りゴチ、夏ダコ、秋ならアジのサビキ釣り、冬場は今のアクアライン下(かつて川崎~木更津間を約70分で結んだフェリー航路)あたりのハゼと四季折々の豊富な魚種がいた。埋め立てによる開発、地球の温暖化などで環境が変化していくとともに、釣れる魚も限られて数も少なくなってきた。だから、魚族保護のため、稚魚を放流する。そんな取り組みまで気づいて、環境の保護などを意識してもらえれば、国語、算数、理科、社会といった学校で習う教科にはない総合学習として成立する。
この出前授業、もともと日本釣振興会事務局の吉野生也次長(59)が釣り仲間らで15年前に結成した有志の団体「ハマの海を想う会」によるゴミ拾いなどから始まった。「子供向けのフィールドワークで釣りもセットにした環境学習ができれば」と模索していたところ、団体で接点のあった校長が手を挙げ、横浜市の幸ケ谷小で始まった。授業を受けた担任が他校に異動したり、川崎市のSDGs総合学習推進校を紹介されたりして広がった。
学校を出て、近くの川や海で野外授業を行うための条件が付く。「実施校から1キロ圏内に釣り場がある」「校長の理解がある」「実施校周辺の釣りや自然が語れる講師がいる」「フィールドワークのスタッフが確保できる」だ。
そこで、釣り具メーカーなどの協力も得る。東京都東久留米市に本社があり、ダイワの製品を扱う「グローブライド」、埼玉県桶川市に本社がある「マルキユー」の社員にも手伝ってもらう。
地震や津波などに備えた防波堤のかさ増し、台風や線状降水帯による治水対策としての護岸工事などが障壁になる場合もある。「学校によって温度差はいろいろ。中には川に近づくなと児童に言っている学校もある。想像以上に海も川も釣りがしにくい」(吉野次長)。実際に釣りができるよう、河川管理事務所の職員や漁協の組合員などにも協力を呼びかける。
教育の現場からは、「パソコンやタブレットでどんどん知識は習得できる。体験が少ない今の子どもたちにとって、野外学習ができるのは大きい」といった声もある。
環境学習は「衣食住」にも結びつく。「衣」なら、水遊びをする際のライフジャケットの着用、「食」はすしや塩焼きなど日常の食事、「住」は職住接近の漁師町や漁船の構造、豊漁で栄華を極めた時代を物語る「ニシン御殿」など、それぞれの地域の文化、気候、地理、歴史などを大人も児童も見直すきっかけになる。
魚との関わり合いもいろいろ。「釣り人口の増加や裾野の拡大を目的にしているわけじゃないんです。あくまでも地元の身近な自然とか、身近にいる生き物が釣りを通じて知ることができるプログラムとして環境学習を進めたいんです」(吉野次長)。題材は、日本全国各地にいくらでもある。
地域生活に密着した魚で文化を学ぶ
地域の住人たちの生活に密着した魚の例として、環境学習で取り上げやすいのはサケだろう。太古の昔から今の北海道に住んでいたアイヌ民族にとっては、「神の魚」だった。重要な食べ物としていただけではなく、皮をコートにしたり、ヒレをスパイクのようにしたケリと呼ばれる長靴にしていた。
北海道千歳市にある「サケのふるさと 千歳水族館」では、例年8月末から12月半ばあたりの遡上(そじょう)シーズンになると「インディアン水車」が仕掛けられる。川の流れを利用した水力だけで回る。羽の部分はカゴ状になっており、産卵のために遡上しようとするサケがみずから飛び込んで、カゴからいけすに落ちる。大群が遡上する確率が高い大雨の後になると、1日で1万匹以上捕獲されることもあるという。道内には数カ所ある。
食に関して題材になるとすれば、アジやコイがある。アジの身を包丁で粘りが出るまでよくたたいてミソなどで味を加えた「なめろう」を、アワビなどの貝殻の上に載せて焼いた「サンガ焼き」には諸説ある。
1つは、現在の千葉市中央区寒川町(さむがわちょう)の漁師が江戸末期、東京・日本橋に魚を荷揚げする際、往復の船上のかまどでつくった簡単な料理が由来とされている。もう1つは、漁師が山仕事に行く時、あわびの殻にごはんとなめろうを入れて携帯。なめろうが生物のため、山小屋で蒸したり焼いたりして食べたことから、山の家で食べたので山家(さんが)と名付けられたという説だ。
コイは長野県佐久市、山形県米沢市などが有名。ともに江戸時代に飼育が始まった。また、牛や豚は食べず、魚食文化が発展した当時の貴重なタンパク源にもなった。
佐久市の場合、千曲川の伏流水で野生のコイの飼育を試みた。昭和初期には全国一の生産量を誇り、当時の宮内省や陸軍の御用達にもなっていた。最近では無農薬栽培のコメ農家が水田で飼育しているという。
米沢市は、米沢藩主だった上杉鷹山が福島・相馬からコイの稚魚を取り寄せて、米沢城のお堀で育てたのが始まりと言われている。雪深い土地が産み出す清流が川魚独特の泥臭さを消し、身を引き締めている。
このほか、タラを天日干しして冬場に食べる棒鱈(ぼうだら)は、北海道や東北地方で冬場の保存食の代表格。北前船で運ばれた京都や北陸地方では、お正月やお盆の料理としても食べられている。
日本に伝わる釣法・漁法を学ぶ
イカやタコを小魚やエビなどに似せた疑似餌の「エギ」で釣るなど、日本に伝わる釣法、漁法も題材になりそうだ。
この時期、全国の河川で釣り人が夢中になるのがアユの友釣り。アユが縄張りを作り、そこに侵入するアユに体当たりして排除しようとする習性を利用している。また、茨城・栃木・新潟・愛知・岐阜などの各県ではヤナもある。列状にクイや石などを敷いて水の流れをせき止め、誘導されてきた魚類の流路をふさいで捕獲する仕掛けだ。
岐阜市などで有名な鵜飼は、アユの伝統漁法。鵜匠(うしょう)と呼ばれる漁師が、舟に乗って鵜という水鳥を操りかがり火に集まったアユを捕獲させる。ノドにひもが結わえてある鵜は、ある程度の大きさの魚になるとのみ込めないため、鵜匠が舟の上で吐かせる。特に岐阜・長良川の鵜飼は1300年以上の歴史を持ち、織田信長や徳川家康も見物したといわれている。国の重要無形民俗文化財でもある。
有明海のムツゴロウ漁など、海にもいろいろな漁法があるが、千葉・木更津に残っているのが「簀立て(すだて)漁」。自然の潮の満ち引きの力を利用して干潟に網を仕掛ける。潮が満ちて魚が網に入り、潮が引くと魚が網の中に残るという伝統漁法でもある。潮の満ち引きといえば、潮干狩りも同じだ。









