感染症に詳しい、河北総合病院(東京)血液内科副部長の若杉恵介氏(48)に、コロナ禍のこれまでを振り返ってもらった。同氏は、日本での感染が初確認された1月から「PCR検査」依存への問題、「院内感染」対策の盲点を指摘していました。

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2009年の「インフルエンザパンデミック」の後に、あるシミュレーションが話題になりました。海外からの感染者が東京・八王子の自宅から丸の内の勤務先まで出勤した場合、「何もしないと、15日後には首都圏全体に感染拡大する」というものです。インフルエンザと同じ感染力設定ですので、多少の違いはありますが、コロナウイルスも同様に広がると考えます。

1月下旬にはすでに「上陸」していたので2月半ばまでには、感染拡大している想定になります。そして日数からすると2月下旬には死亡例が多発する予想です。「2週間後には東京は〇〇になる」。そんな報道がなされましたが、結果的には、東京は、東京でした。何か起きてはいたのだと思いますが、思ったより「小波」でした。

原因も分からぬまま、いったん緊張が解けましたが、3月中旬から強烈な波が襲って来ました。今までと様子が違う状況になりました。後からの解析では、最初の波が武漢型、次はヨーロッパ型に流行が変わったとのことです。正直、自分としてはこれが「第2波的」と思っています。この時、東京の医療機関の負担は比較的大きく、またどこの病院も、個人防護具の枯渇があり、かなり差し迫った状態に近かったです。

ウイルス学の本には、コロナウイルスは粘膜免疫しか成立しないので、1シーズンで複数回の感染は起こり得るとありますが、第1波と第2波には「間」があるはずなのにと、がくぜんとしました。ただし不思議なことに、散見はされましたが、医療関係者が次々と倒れるようなことは起きませんでした。

武漢地区をはじめ、ヨーロッパでは医療従事者の犠牲者が多く出ているにもかかわらず、日本の感染患者対応がうまかったと思いたいところです。でも、おそらく症状が発症するころには気道からのウイルス量はかなり落ちていて、挿管とか、たんの吸引を行わない限り、そんなに強く拡散しないようです。もちろんおむつ交換の際も注意が必要ですが…。思ったより緩やかに、しかしずっしりと重い波が押し寄せて来ました。