日本プロ野球に史上最大級の瞬間風速「ホーナー旋風」を巻き起こした強打者ボブ・ホーナー氏が亡くなった。68歳だった。26日(日本時間27日)、所属したブレーブスが発表した。死因は未公表。87年途中にヤクルトに加わると、デビューから4試合で6本塁打。前年まで米大リーグで4番を打っていた「現役メジャー」による猛打ぶりは、日本中を熱狂させた。
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ホーナー氏は、日本デビューから打ちまくった。初出場の87年5月5日、神宮での阪神戦で仲田から右翼へ初本塁打。翌6日には池田から1回に左翼へ130メートル弾。5回に左中間へ120メートル、7回にはバックスクリーンへ130メートルアーチと、1日3発で合計飛距離380メートルでファンの度肝を抜いた。9日佐世保での広島戦では、白武から1回に右翼へたたき込むと、6回には左翼場外へ運んだ。4戦6発。「黒船」「赤鬼」と称され「ホーナー旋風」は流行語にもなった。
当時は珍しい「バリバリの現役メジャー」だった。78年6月4日のドラフトで、アリゾナ州立大から全米1位指名でブレーブス入り。球団で初めてマイナーでのプレーを挟まず、16日にメジャーに昇格すると、デビュー戦で本塁打。そのまま23本を放ち、新人王に輝いた。そこから4番、5番を打ち、来日前年も27本塁打。FAでオーナー側の結託から契約交渉が不調となり、当時史上最高年俸の推定3億円でヤクルト入りした。
日本では当時破格の軽量、907グラムのバットを使用した。ほとんどテイクバックを取らない高速スイングで全方向へ本塁打を重ね、規定打席未満ながら31本塁打を打った。ヤクルトの観客動員は、ホーナー見たさに初めて200万人を超えた。ビールやヤクルト製品のCMに出演するなど、グラウンド外でも人気があった。
1シーズンだけでヤクルトを退団すると、カージナルスでメジャーに復帰した。88年3月には「地球のウラ側にもうひとつの違う野球があった」という本を出版。日米の違いを示し、ベストセラーになった。カ軍では故障のため3本塁打に終わり、31歳で現役を引退した。92、93年にはヤクルトのユマキャンプで臨時コーチを務めた。長嶋一茂を指導するなど、引退後は古巣に力を貸した。【斎藤直樹】
◆ボブ・ホーナー 1957年8月6日、米カンザス州生まれ。78年アリゾナ州立大からドラフト全米1位でブレーブス入団。同年新人王。82年球宴出場。86年に1試合4本塁打。87年ヤクルト入団。88年カージナルスで引退。185センチ、97キロ。右投げ右打ち。大リーグ通算1020試合で1047安打、218本塁打、685打点、打率2割7分7厘。



