ソフトバンクは4日、京セラドーム大阪での日本ハム戦で「南海ホークス復刻ナイターin大阪」を開催する。これまでも南海の復刻ユニホームを着用することはあったが、大阪の地で着用して主催試合を行うのは89年の福岡移転後初めて。

87年ドラフト4位で指名され三重・明野高から入団した“最後の南海戦士”大道典良3軍打撃コーチ(56)に、南海時代の思い出を語ってもらった。「今と環境面が全然違いますよ。当時は練習場は少ないし、ボールも少ない。打撃マシンも古いし、もうネットもボロボロでしたね」。南海最後の1年、88年はルーキーイヤーだった。

「今みたいにグラウンドキーパーがいないので、みんなで整備した。僕ら1年目が道具出しからライン引きまで全部。高校時代の延長みたいな感じ」と懐かしそうに笑う。試合前や練習日の食事は菓子パン。「ちっちゃい、あんパンとクリームパン。クリームは先輩が先に取っていく。休みの日は寮で『出前一丁』とか袋入りのインスタントラーメン。コック長がつくってくれました。今じゃ考えられない」。寮も高校時代より狭く、まだ携帯電話がない時代で若手が順番に電話番を務めた。

「苦しい思い出ばかり」という中でいい思い出は「門田博光さんの打撃を近くで見られたこと」と即答した。当時40歳で44本塁打を放ち本塁打王に輝いた。「近寄れないです。オーラが。話しかけられない。迫力が」と18歳には雲の上の存在だった。「フリー打撃で、投手が通常の半分の距離から投げていた。やっぱり速い真っすぐをとらえられないと長くはやれない。その練習を見られたのはよかった」。そのおかげか、大道コーチは23年の現役生活を送った。

南海を今も復刻し次世代へ継承していくことに「大事ですね」と感慨深く話す。今でも大事に南海時代のユニホームは保管している。【石橋隆雄】

◆南海復刻ユニホーム 最初は08年に球団創設70周年と福岡移転20周年を記念し復刻。交流戦の阪神戦1試合とオリックス戦2試合で着用した。王監督(現球団会長)も白に緑ラインのユニホームを着こなした。13年から19年(16年はなし)までは「関西クラシック」として、近鉄や阪急の復刻ユニホームを着たオリックスと南海ユニホームを着て対戦した。13年には日本ハムとの東京ドーム3連戦でも着用した。