新日本プロレスの棚橋弘至(41)が初主演した映画「パパはわるものチャンピオン」(藤村享平監督)が21日、公開初日を迎えた。劇中でトップに上り詰めながらケガで全てを失い、マスクをかぶりヒール(悪役)としてリングに立つ大村孝志を演じた棚橋が、ニッカンスポーツコムの単独取材に応じ初主演した映画を存分に語った。【聞き手・構成=村上幸将】

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「パパは-」は、棚橋をモデルに描かれた同名の絵本を映画化した。棚橋演じる大村はトップレスラーだったが、ひざに大ケガを負って長期離脱した。10年たっても、かつての強さを取り戻せないでいた大村は、マスクをかぶって「ゴキブリマスク」としてリングに立ち、ブーイングを浴びながらも好きなプロレスにしがみつくように生きている一方で、息子には職業を打ち明けられないでいた。

棚橋 大村は家族のために、と言いながらプロレスにしがみついている感じ。、俺はエースだという記憶が強く、プライドが邪魔してヒールをやりたくなかった。自分の仕事に誇りを持てていないけれど、最終的には持てるようになる…物語では、その心情の変化が、すごく大事になってくる。「自分の仕事に誇りを持っています」と言える人は、なかなかいないかも知れないですけど、本当に誇りを持ってやれるようになる心の動きは、いろいろな人のヒントになるかなと。

大村とタッグを組むギンバエマスクの寄田を演じた田口隆祐ら、新日本のレスラーによる白熱のプロレスシーンは大きな見どころだ。新日本プロレス中継では見られないアングルもあり、俳優がレスラーを演じるのとは別次元の迫力がある。

棚橋 コーナーに立った僕の目線だったり普段、プロレス中継では入れない位置にカメラが来ていることで、迫力のある映像が出来ている。撮影中に心配だったのは、プロレスのシーンばかりではダメだということ。見る人を選んでしまうので。でもドラマを説明する答えがプロレスシーンにあるし、プロレスシーンを補完するためにドラマもある。ベストバランスです。

劇中にはプロレスラーが表に見せない痛み、悲しみもところどころににじむ。

棚橋 その辺は僕ら、見せる必要ないですからね。プロレスはリング上で(レスラーが見せるものを)楽しんでもらえればいいだけなので。でも監督さんのご配慮というか、そういうものも含めてプロレスの魅力なんだよ、というところを伝えてもらえたのが、この映画のいいところですね。

プロレスラーの心の機微まで描いた物語は、脚本も担当した藤村監督の徹底した取材にあると明かす。

棚橋 プロレスラーの矜持…こうやって、生きるというのが描かれています。監督が道場に来て、若い選手からどうやってチャンピオン、スター選手になっていくんだっていう過程をしっかり見て、試合会場にも来て、プロレスをしっかり理解して脚本を書いてもらって…そうしたことを、丁寧にやっていただいたからだと思いますね。短い期間で、プロレスをいろいろな角度から見てくれた、監督はすごいなと思いました。

撮影は17年8月に行われたが、棚橋は撮影前に、息子の祥太を演じた寺田心(10)と演技のリハーサルを行い、撮影に臨んだ。

棚橋 演技のリハーサルは、撮影までの2カ月くらいですかね。試合と試合の合間を縫って都内某所で…。3週間という限られた時間の中で映画を撮りきらなければいけなかったので、もう朝早くから夜10、11時くらいまで撮影、というのが毎日、続きました。

演技で1番、難しかったのはどこだろうか?

棚橋 日常の何げない会話の方が難しいですね。監督さんにも、そう言われたので確かになぁと…。僕、最初、セリフの読み合わせをした時に「マイクアピールみたいですね」って言われて(苦笑い)その段階を抜けきれなかったんですけど…心君とリハーサル含めて、すごく一緒にいる時間が多かったんですよ。プロレスごっこをしたり、遊んだり。プライベートで仲良くなって、という状況が親子関係の自然な会話につながっていったんじゃないかなと。そこまで見越して、時間を取ってくださった監督はすごいなと。

映画で座長になるのは初めてだったが、新日本でトップをひた走ってきた経験を映画の現場でも実践した。

棚橋 座長として、演技で引っ張るっていう部分が出来なかったので、現場の空気作りだったり、出来ることは何でもしようと思って臨みましたね。僕のハウトゥなんですけど、共通点としては

<1>まず弱音をはかない、疲れたって絶対に言わない。

<2>現場のスタッフさんに感謝する。

カメラマンさん、照明さん、音声さん、小道具さん、大道具さん、監督がいる中、全員が一斉に動いて、1シーンが完成すると考えると、役者はそういう人たちの期待を一身に背負って、その瞬間を演じないといけないと思って。演技に関しては未熟な部分が大いにあったんですけど、本当にできる限りのことは全身全霊でやろうと思いました。

演技においても、プロレスとの共通点があった。

棚橋 興行全体の流れを作る、映画の流れを作る(というのは共通点)。そういう中で、監督に言われたのは「主演というのは、受けの演技ですよ」と。(共演者から)来るセリフを受けて、自分のセリフを返す…だから、セリフが頭に入っていたとしても、こうやって演じよう、みたいなところは演技を固めずに、現場で1番いい感情を引き出し、自分の中でチョイスするということ。受けという部分はプロレスの受けと通じる部分がありましたね。

“受け”がプロレスと演技の共通点と感じることが出来た根底には、先輩の獣神サンダー・ライガーからの言葉があった。

棚橋 ライガーさんが2、3年前に言われたんですけど、昔、アメリカにいろいろ団体があった頃は、各地、転戦して回る中で、チャンピオンは、その土地、土地のスター選手の良さを引き出して、それでも勝つんだと。何でかというと、その土地にはファンがいて(地元の)スター選手が、あとちょっとで勝ったら…と思ったら次も興行が続くじゃないですか。だから、期待感を持続させる“相手を生かすプロレス”が出来るのが、本当のチャンピオンなんだと。ライガーさんは、僕がチャンピオンじゃなくても常に「チャンプ」って呼ぶんですよ。「ライガーさん、僕は今、チャンピオンじゃないんで」って言うと「いや、そういうことじゃないんだ。棚…俺は、棚をチャンプって呼ぶには意味があるんだぜ。棚橋の戦い方がチャンピオンの戦い方なんだ」って言ってくださるんですよね。

99年にデビュー後、1度もやったことがないヒールを役として演じたが、生かせる経験を持っていた。

棚橋 ブーイングをいかに引き出すかということに留意してやったんですけど、僕はブーイングをもらっていた時代がある。2006年(平18)に初めてチャンピオンになってから、チャラくなって発言もナルシシストで、2009年(平21)くらいまで、ずっと…新日本のファンに好かれていなかった。

チャラい振る舞いの裏にあった発想は、ヒールを演じた今回にも通じていた。

棚橋 ヒールが受けるブーイングと、生理的に嫌われる僕のブーイングとは、種類が違ったんですけど、打たれ強さが培われましたね(苦笑い)でも、僕が誘導していたんですよ。僕がブーイングを受けるってことは、対戦相手に声援がいくということじゃないですか。相手に声援が集まれば、試合は盛り上がる。そうすれば大会自体は成功なんですよ。だったら、もっとブーイングを受けようと思って、あえてチャラい髪形にして、よりナルシシストに振る舞って、いけ好かないヤツを演じたというか…元々、そういうヤツだったので作ってはいないですけど気付きがあったんです。

次回は棚橋がプロレスラーとしての今の思いを語る。