膵臓(すいぞう)がんのため61歳で急逝した元横綱千代の富士の九重親方(本名・秋元貢)のお別れの会が、10月1日に両国国技館で営まれる方向で調整していることが1日、分かった。九重部屋は佐ノ山親方(元大関千代大海)が継承する。訃報から一夜明け、遺体が眠る東京都墨田区の部屋には弟弟子の八角理事長(元横綱北勝海)や、現役時代の師匠の北の富士勝昭氏(元横綱)らが弔問に訪れた。

 昭和から平成を彩った九重親方との最後の別れは、秋場所後になる。6日の通夜、7日の葬儀・告別式は遺族や関係者だけで営まれる。そこで、一般ファンも参加できるお別れの会を10月1日に両国国技館で開く方向で調整しているという。8月中は夏巡業で日程が埋まっているため、秋場所後に延ばされた。関係者は「協会葬ではなく、お別れの会として、笑顔で楽しく送りたい」と話した。

 九重部屋の継承も方針が固まった。春日野広報部長(元関脇栃乃和歌)は「佐ノ山親方が継承する」と明かした。近く年寄名跡が変更され、3横綱を生んだ部屋が引き継がれる。

 九重親方の遺体は、部屋の自宅スペースにあたる4階に安置された。通夜も告別式も、その自宅で執り行われる。八角理事長は「まったく同じ場所で娘さんを亡くして、あそこで通夜、葬式…思い出しました」。

 89年6月に、生後3カ月の三女愛ちゃんを乳幼児突然死症候群で亡くした。左肩の脱臼で5月の夏場所を全休した身に、ショックが重なった。迎えた7月の名古屋は「場所前は稽古できず、休場か、引退かというくらいだった。でも、逆境に強い。絶対にくじけなかった。優勝決定戦で私に勝って優勝したんですよね」と述懐した。それだけに「悪いとは聞いていたが、何事にも絶対勝つと思っていた。治るだろうと」。まだ訃報を信じられずにいた。

 兄弟子との猛稽古は有名な話で、自らが横綱に上り詰めた原動力だった。「そのときの思い出をゆっくり…何年かたって、2人で飲みながらもう1度、話してみたかった」と涙ぐんだ。

 2人の師匠だった北の富士氏も弔問し「穏やかな表情だった。千代の富士らしい顔でね。豪快だけど繊細。口は悪いけど、腹はそれほど悪くない。ユーモアも適当にあったし、涙もろいところも」と故人をしのんだ。「3年前は大鵬さん、そして北の湖さん、千代の富士。強い順番に逝っちゃうんだなぁ」。先に逝く弟子を悲しむよりなかった。