横綱照ノ富士(33=伊勢ケ浜)が現役引退を発表し、師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)同席で、両国国技館で会見した。今後は伊勢ケ浜部屋の部屋付きで「照ノ富士親方」として、後進の指導にあたる。
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13年4月11日、照ノ富士は当時21歳。しこ名は若三勝(わかみしょう)で、番付は西幕下20枚目。横綱になれるか、なれないかの分岐点は、この日だったのかもしれない。
それまでの師匠間垣親方(元横綱2代目若乃花)の体調不良による部屋閉鎖が決まり、転籍先の伊勢ケ浜部屋に引っ越した日だ。わずか3力士だったそれまでの稽古は、四股、てっぽうが中心。軽めのトレーニングしか出来ない日もあった。
急転、環境は激変した。横綱日馬富士を筆頭に、安美錦、宝富士、誉富士の幕内陣。関取を狙う幕下力士も多数で、稽古の充実度が礎を築いた。翌日の初稽古は「吐きそうだった。もうダメかも」と顔面蒼白(そうはく)。同年名古屋場所後に十両昇進が決まって改名し、一人部屋も用意されたが「お化けが怖いから大部屋がいい」と伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)に泣きついた。夜になると部屋から大部屋にこっそり移動し、190センチを超える大きな体で同年代の若い衆の布団に潜り込んで朝を迎えたことも何度もある。そんな純粋な心の持ち主ゆえに、みんなから愛された。
転籍直後の13年夏場所一番相撲は、送り出しで勝った。「横綱に早く報告したい」と足早に支度部屋に戻った笑顔は忘れない。結果的に最後の一番となった15日の翔猿戦。送り出しで敗れ、足を引きずった。現在は相撲担当ではないにも関わらず、いずれも両国国技館の現場で、その取組、表情を見ることが出来たことも何かの縁か…。
横綱の胸を借りた稽古の積み重ねで強くなった日々、ケガや病気とも闘った日々…。不屈の強い精神力は誰もが認める。もう、少しくらい弱音を漏らしたっていい。「照ノ富士関が、お化け力士でしたよ」。そんな言葉で送り出したい。【13~14年大相撲担当 鎌田直秀】

