1872年(明5)10月14日、日本で初めての鉄道が新橋~横浜間で開通しました。走行距離29キロ、所要時間は約53分、1日9往復の運転でした。日本の鉄道は、その日から今年で開業150周年を迎えます。当時の鉄道技術と資金援助は、すべてイギリスから受けたもの。開業式には明治天皇のご臨席を仰ぎ、両停車場で盛大に催されました。連載の初回は、開業時におけるユニークな話をいくつかご紹介します。
1853年(嘉永6)、アメリカのペリー提督は大統領からの親書を持って浦賀に来航し、翌年その回答を求めて再び横浜に上陸しました。その際、将軍への献上品の中に蒸気機関車と客車の模型がありました。サイズは実物の約4分の1。ペリーは模型を組み立て、幕臣たちに運転を披露、好奇心おう盛な河田八之助がすぐさま客車にまたがったそうです。しかし、河田は羽織、袴(はかま)、腰には刀という姿。グルグルと飛ぶように回る客車の速さに対応できず、ずっと客車にしがみついていたとのことです。その真剣な姿にアメリカ人は大爆笑だったというエピソードが残っています。
鉄道建設に関わった測量係の話です。彼らも羽織に袴、頭に陣がさ、腰は両刀差し、足には草履を履いて作業を行いました。しかし、刀が測量の方位磁石に反応してしまい正確な測量は困難。その上、海岸付近の作業では足元は汚れ、海水で冷たい思いをしたようです。これがきっかけで、廃刀令が発せられることに。ちなみに、外国人技師は長靴でした。
蒸気機関車の運転は、すべてお雇い外国人で、日本人は火夫としてただ石炭をくべるだけ。教えられた通りにしないと尻を蹴飛ばされたり、物を投げつけられたりしました。今で言うパワハラです。これに耐え忍んだ日本人は、自立を目指しました。1877年(明10)に技工養成所が設置され、日本人のみの火夫が誕生したのです。
当時の時刻表を担当していたのも、お雇い外国人でした。担当者のページは日本人に仕組みを教えないばかりか、机は常に施錠、仕事中は部屋に誰も入れなかったそうです。ある日、職員のひとりがカギを壊して時刻表を手にすると、ダイヤの仕組みを研究し、理解できるようになりました。1887年(明20)ごろには、日本人の手でダイヤの作成が可能に。世界に冠たる日本の鉄道運行は、こうしたエピソードから始まったのです(続く)。
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