勝負どころは手紙を書く。仕事上でお世話になった、出版社の幻冬舎・見城徹社長から教わった。思いや情熱を伝える時は、便箋を前にする。見城さんは編集者として、石原慎太郎さん、五木寛之さん、村上龍さん、松任谷由実さん、坂本龍一さん…数多くの作家やアーティストを担当してヒット作を生み出した。私にとっては2歳上の尾崎豊さんに信頼されたエピソードは、震えるほど興奮を覚えた。
「この人の作品を世に送り出したい」と思ったとき、見城さんは手紙を書いた。白い便箋に縦書きで、万年筆を手にする。インクの色はどうするんですか? 「好きな色でいいんだよ。僕はブルーブラックが好きだね」。以来、私もブルーブラックだ。「拝啓」に始まる時候のあいさつなど定形を気にするより、わかりやすい言葉で書く。字のうまい下手より、ていねいに気持ちをこめる。
参考にして、ここはと思うときに便箋と万年筆を取りだす。手紙をきっかけに、行き詰まった取材が好転したことが何度かあった。もっとも、私の場合、おわびの手紙も多く、何とか救われたこともあった。
イチロー選手に手紙を書いた。2001年(平13)、メジャー移籍1年目の6月だった。当時の日刊スポーツは、米駐在記者と日本から派遣の記者が、イチロー選手と佐々木主浩投手のいるマリナーズを取材した。パ・リーグ担当が長かった私は初めてメジャーリーグを、そしてイチロー選手を直接取材するはずだった…。
渡米直前、パ・リーグのあるコーチからイチロー選手への伝言を頼まれた。コーチは行きつけの飲食店がイチロー選手と同じで、顔を合わせばあいさつするが、渡米後の連絡先は知らなかった。それでも、「どうしても伝えて欲しいんだよ」と、熱がこもっていた。
渡米して分かったのは、当時のマリナーズを取材する日本人記者は数十人いた。あまりにも大人数なので、選手のロッカー前で行われる試合前後の取材は、決められた3人の記者しか許されず、そのほかの記者は3人からコメントをもらう形だった。渡米直後の3年間はできるだけ、野球以外のことでストレスを感じたくないという、イチロー選手の考えだったことは後年知ることになる。
伝言どころか、本人に近づくことも許されない。何とか約束を守るため、手紙を書くことにした。万年筆と便箋はバッグに入れていた。コーチから託された言葉とともに、自分がどんな記者かを書き添え、球団スタッフに渡してもらった。
翌日だったか、当日だったか。試合を終え、シャワーを浴びたイチロー選手が、上半身裸でロッカー前の椅子に座ると、おもむろに白い便箋を広げて読み始めた。多くの記者が遠目から見ていたが、私からの手紙であることは誰も知らない。読み終えるとどこかにしまい、着替えを済ませて球場を離れた。あえて、記者から見える場所で読んだのは、イチロー選手の差出人に対する「読みましたよ」という、気遣いだったと一方的に思っている。
コーチからの伝言は「絶対に首位打者を取れ」だった。コーチいわく「『取って欲しい』とか『目指して』じゃなくて『取れ』だからな。パ・リーグで7年連続首位打者だよ。取ってくれなきゃ !! 」という。願いはかなう。1年目のイチロー氏は、春先の好調を維持して首位打者を獲得した。いつか調子を落とすとみていた周囲の見方を覆す快挙だった。手紙のおかげかどうかは…コーチの熱意も届いたと思っている。
手紙じゃなくてもいい。野球チームで監督やコーチとやりとりする野球ノートがあるでしょう。何を書けばいいの? 困っているかもしれないが、書いてみないと監督には伝わらない。だったら、形から。筆記用具は鉛筆でも水性ペンでも書きやすい、自分の好きなものを選べばいい。字や文章のうまいへたは気にせずに、練習や試合で心に残ったことを、ていねいに書こう。練習前に慌てて書いたり、グラウンドに行く途中に書き忘れたのを思い出し、コンビニのトイレで書いたりと「野球ノートあるある」もいろいろあるけど、監督やコーチが読むための文章だ。心をこめないと伝わらない。
監督も選手の思っていること、感じていることを知りたいし、忘れたくないからノートにしたのだろう。必ず読んでくれるのだから、心を込めないともったいない。
イチロー氏はユニクロと共同で、頑張る子どもたちから手紙を募集する「イチローPOST」という企画を行っている。あの時、表情も変えずに私の手紙を読んでいたが、今回はどんな笑みを浮かべるのだろう。募集手段にはデジタル形式もあるが、手書きの手紙も投函できる。SNSではない。手紙を選ぶところが、何だかうれしい。【久我悟】

