1995年(平7)5月の逮捕から23年、松本智津夫死刑囚(63)の刑が執行された。オウム真理教による一連の事件やその後の教団動向を取材してきた日刊スポーツ広部玄・文化社会部デスク(47)が、事件と「教祖・麻原彰晃」を振り返った。
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中学生時代から「麻原ウオッチ」を続けその後、それが記者としての仕事にもなってしまったのだが、「出会い」は衝撃的だった。購読していたオカルト情報誌「月刊ムー」1985年10月号の読者投稿欄。ヨガ道場「オウム神仙の会」を主宰する「麻原彰晃」なる長髪男が、空中に浮いている写真とともに「驚異の空中飛行に成功した」という文を寄稿していたのだ。「修行上で知りえた秘密をすべて公開することを約束する」とも豪語していた。
正直インパクト抜群で、それから麻原なる“変わったヨガ行者”のマークを開始した。数カ月後にはライバル誌「トワイライトゾーン」で各地の聖者を訪ねる連載「解脱への道」を始めるなど、瞬く間にオカルト業界に名を広めていた。
86年末には書店で著書「生死を超える」を発見。「ついに本まで出したか」と驚き即購入した。ヨガや原始仏教の修行で「生死を超越し絶対自由、絶対幸福」を得たと宣言していた。
「怪しい魅力」を強烈に放っていた。バブル初期の日本。彼が発する何かが、浮かれ始めた世間にむなしさを感じていた一部高学歴層らの心を直撃したプロセスは、理解できた。
しかし、おかしな点もすぐ出てきた。ヨガ道場のはずが87年に突然、宗教団体になってしまい「マハーヤーナ」という機関誌まで出し始めた。「絶対自由」を得たはずなのに、同誌には「私はシヴァ神に殴られた」との告白が掲載。「秘密をすべて公開する」はずが、ビデオ「ヒマラヤヨーガ秘伝」の価格は10万円だった。教団用語もよく変わり、同誌創刊号では「麻原大師」だったのに、次号から「尊師」になった。
時は流れ、オウム真理教は一連の事件を起こした。取材の過程で、当時感じた「おかしさ」と同じベクトルの話が次々出てきた。脱会した元最高幹部と最近話した際、松本死刑囚の初期の魅力を聞いてみた。「80年代は人の心を見抜く直感がすごく、それが神秘力かと思っていた。90年代になり、それがなくなっていった。何があったのか」。
80年代半ば、人々に「絶対自由、絶対幸福」を得てほしいと記したのは本気だったのか。それとも90年代に変節したのか。はたまた、もともと日本支配の野望を抱いていたのか。「生死を超える」で彼は「生きていくって、なんてつらいんだろう」と1行目に書いた。「生死を超える」はずが、極刑になるという結末。本心はどこにあったのか、もう答えを聞くことは永久にできない。

