今年4月、藤井聡太竜王(19)を初めて招いて「人間将棋」を復活させた山形県天童市が、来年の市制65周年に向けて新たなミッションに動きだした。「1人残らず将棋を指せる」「プロ棋士を出す」という看板を掲げた。同市は、全国の将棋駒の約95%を生産している「将棋の町」。ただし、次世代の将棋熱は低く、出身のプロ棋士はいない。史上最年少5冠の誕生、コロナ禍で控えていた名物行事の復活を契機に、振興策として地元から盛り上げようとしている。

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幕末、天童を治めていた織田藩の財政を救うため、武士の内職として将棋の駒作りを奨励した。「将棋は兵法や戦術にも通じるので、武士の面目を傷つけるものではない」と、製造法を広く紹介した。明治時代に入って、家臣たちが将棋の駒の木地作りや駒書きを活用して、分業システムで製造し始めた。

同市と公式棋戦の結び付きは、51年2月の王将決定戦が最初。一昨年6月の名人戦まで59局誘致した。今年は渡辺明名人対斎藤慎太郎八段の名人戦7番勝負第7局が6月24、25日に「天童ホテル」で予定されている。

豊臣秀吉が16世紀に京都・伏見城で最初に行ったとされる「人間将棋」は、56年に山形市長と、当時の天童町長が対局したことから始まった。以来、天童市内の舞鶴山で毎年4月に開催される。67年に「人間将棋」の名称が初めて使われた。

盤は縦16・87メートル、横14・17メートル。1マスの縦は1・5メートル、横1・2メートル。歩は腰元役の女性18人、王将以下、飛車、角、金、銀、桂、香は武者役の男性22人が、それぞれ東軍、西軍に分かれる。男性棋士の対局は、91年の羽生善治棋王対屋敷伸之棋聖(肩書は当時)戦から。11年は東日本大震災の影響、20・21年はコロナ禍で中止となった。