パソコンやスマートフォンのワープロ機能って、すごいなぁ、とあらためて思いながら、この原稿を書いています。日本中の駅、特にJRの駅はほぼすべて一発変換できることを知ってはいたが、実際に変換してみると、その見事さに手が一瞬止まってしまう。しかし難読なのは駅だけではない。近辺の名所、旧跡も難読だらけと、これまた万葉まほろば線(桜井線)にふさわしい。また駅巡りの最後に感じたのは万葉集とは別の歴史だった。


<1>巻向の読みは「まきむく」
<1>巻向の読みは「まきむく」

巻向駅に関しては、先に答え合わせを(写真<1>)。「まきむく」。うーん、訓読みの組み合わせは、なかなか思いつかない。しかし駅名以上に目を引いたのはホームの名所案内だ(写真<2>)。ハイ、白旗を振るのみ。全く読めません。


<2>巻向駅ホームの名所案内に沈黙してしまった
<2>巻向駅ホームの名所案内に沈黙してしまった

私はあくまでも鉄道ファンであって、名所旧跡や寺社仏閣には、あまり足を運ばない。日光まで行ってJRと東武を乗り換えるだけで終わる人なので。ただ写真だけ見せて、後は勝手にどうぞ、というわけにはいかないので調べました。上から順番に「はしはか」「たまきやま」「まきむく」「ひょうず」。もう1度見せられても、忘れてしまいそう。箸墓古墳は邪馬台国の女王卑弥呼の墓と言われているらしく、一発変換できました。要は私が無知だったということです。

ちなみに参照したのは桜井市のホームページ。名所のほか万葉集の歌碑一覧マップと詩の解釈付きという、すぐれもの。散策のお供におすすめです。


<3>新しい駅舎の京終駅
<3>新しい駅舎の京終駅

再び電車に乗って奈良のひとつ手前まで戻ると、そこには復元されたばかりのピカピカの駅舎があって、難読という意味では沿線ナンバーワンではないだろうか(写真<3>)。「京終駅」。偶然ながら私は毎年年賀状を出す知人が付近にいて知っていたが、復元された駅名標がその答え(写真<4>)。もともと奈良の都の端だったので京終という地名になったという。


<4>以前の姿を復元した駅名標。「きょうばて」と読むのは至難の業
<4>以前の姿を復元した駅名標。「きょうばて」と読むのは至難の業

そして不便な行程となっても最後はここだと決めていた「畝傍駅」に向かう。由緒ある名前なので読める方も多いはずだが、正解は「うねび」(写真<5>)。


<5>畝傍の駅名標(2016年5月)
<5>畝傍の駅名標(2016年5月)

1893年に開業した畝傍駅は橿原神宮の最寄り駅。現在の駅舎は1940年、昭和天皇のご訪問に合わせて建設された。駅には貴賓室が設けられ、今上天皇もご成婚の際に利用されている。だが畝傍駅から橿原神宮前駅まで伸びていた近鉄の路線が廃止されるなど、橿原神宮により近い近鉄橿原神宮前駅の利便性が高まったこともあり、皇室の方々も京都から近鉄に乗車するようになった。

畝傍駅そのものも、大阪へより便利な近鉄の大和八木駅が徒歩10分圏内にあるということで徐々に乗客が減り、80年代には無人化。現在は1時間に1本の電車がやって来るのみの駅となっている。


<6>重厚な駅舎が健在の畝傍駅(2016年5月)
<6>重厚な駅舎が健在の畝傍駅(2016年5月)

とはいえ貴賓室を持つに相応しい立派な駅舎は健在(写真<6>)。駅前の駐車場に車が多かったことなどもあり、畝傍駅での写真は3年前のものとなってしまったが、橿原神宮の最寄り駅であることを示す石碑(写真<7>)もそのまま。貴賓室は閉ざされたままになっているが(写真<8>)、不定期ではあるが公開され、多くの人が訪れる。訪問の価値が十分あることには変わりない。


<7>橿原神宮の最寄り駅であることを示す石碑(2016年5月)
<7>橿原神宮の最寄り駅であることを示す石碑(2016年5月)
<8>畝傍駅の貴賓室入り口。現在は閉ざされているがホームから直接入れる構造となっている
<8>畝傍駅の貴賓室入り口。現在は閉ざされているがホームから直接入れる構造となっている

そして桜井線を支えてきた105系も、そろそろ見納め。年度内には最新車両に置き換えられることが既に決まっている。乗るなら今のうち。明治時代に敷設されたということは重要路線だったことの証しでもある。季節の良い間に万葉の空気に触れてみてはいががでしょう。【高木茂久】