東北から希望の火をともす。20年東京五輪に向けて、国内屈指の弾薬メーカー「日本工機」が動きだした。作るのは聖火トーチ。64年の東京五輪では同社のものが採用された。東京・港区に本社を置くが、福島・西郷村が生産拠点。11年3月の東日本大震災では被災し、復興のシンボルとして採用を目指す。また宮城・石巻市には旧国立競技場の聖火台が貸与されている。震災で最大の被害を受けた地から聖火リレーの出発点となるべく、決意を聞いた。【取材、構成=島根純】
<14年から開始 開発5合目>
まばゆい光から生まれる白煙が国立競技場のトラックに一筋の線を描く。アテネから消えることなくつながれてきた炎。世界中の視線を集め、最終走者が階段を一気に駆け上る。午後3時3分。たどりついた最終地点。最終走者坂井義則氏が聖火トーチをゆっくりと傾けると、聖火台に希望の火が燃え上がった。64年、最初の東京五輪が始まった瞬間のトーチは日本工機製だった。

- 連載「東京オリンピック特集」札幌冬期五輪の聖火トーチを持つ日本工機林さん(左)と東京五輪の聖火トーチを持つ伊藤さん
消えない物作りの火が、雨風にも耐えるトーチを生み出した。日本工機の林知弘主査(36)は「うちのトーチは消えない。水の中に入れても大丈夫です」と話す。弾薬メーカーならではの技術力が全長55センチのステンレスの中に詰まっている。構造は手持ち花火にそっくり。筒状の先端に着火コードがあり、筒の中の燃料が燃えていく。燃料の詳細は明かせないが、海上事故で使用する救難信号筒の技術を応用。水中でも、無酸素空間でも燃え続ける。激しい光は理科の実験で使ったことのあるマグネシウムの燃焼が鍵となっている。
軍需産業とスポーツの祭典。共通するのは「まもる」という思いだ。1度目の東京五輪では大会組織委員会から「絶対に聖火が消えないトーチを作って欲しい」と依頼を受けた。当時の開発責任者が約1000本のテストを重ね、7300本を作製。東京、72年冬季札幌、84年サラエボで採用された。産業用火薬は平和の象徴となる光となった。近年主流となっているガス式のものは調整が難しく、炎が途中で消える可能性が高いが14分間は必ず燃え続ける逸品を作り上げた。

- 連載「東京オリンピック特集」 トーチの先端には導火線がのびる
あの開会式から半世紀が経過し、新しい聖火トーチの開発を進めている。無煙。屋内の競技場が増え、どんな会場でも観客から炎が見られるように、煙をなくすと決めた。日本工機伊藤啓太主任(31)は「煙があった方がいいという意見もあったが、新しいものを作る。多くの人がわかりやすいトーチを作ろうと決めた」と4人の開発チームで取り組んでいる。
希望の火をともしたいと願う。11年の東日本大震災で被災。拠点の福島・白河製造所内の道路は崩れ、水、電気もストップ。約1カ月半の間工場のラインは止まった。内陸部のため比較的早く復旧を果たしたが、沿岸部は原発事故の影響で大きな被害を受けた。64年が戦後復興の五輪ならば、20年は震災復興のシンボルとなる。福島・内堀雅雄県知事も採用に働きかけたいと、オール福島の精神で採用に挑む。林主査は「人と人をつなぐものを作る。福島から世界に発信できるものになる」と意気込む。

- 石巻市総合運動公園に設置されている旧国立競技場の聖火台
14年から始まったプロジェクトは現在開発の状況は5合目。17年頭に精度の高い試作品を作り上げ、試用に挑む。林主査は「煙はなくしてしまうかもしれないが、炎の色味は初めての東京五輪と同じ色にしたい。炎の安定感はもちろん増して。あの頃と今をリンクさせられるように」と話す。もの作りの火と人々をつなぐ炎を燃やし続けるために、東北から開発を続ける。
<64年東京で使用→14年貸与の聖火台を出発点に!!>
青空の下、旧国立競技場の聖火台は日を浴びて光り輝いていた。現在、「復興のシンボル」として宮城・石巻市内の総合運動公園に鎮座している。14年9月に日本スポーツ振興センターから貸与され、19年3月の返還が予定されている。だが、新国立競技場の聖火台設置場所の問題が浮上。石巻市体育協会の伊藤和男会長(69)は「返すのは仕方ないのですが、せめて聖火リレーが始まるまで置かせてほしい。中央が混乱しているのならば、地方から盛り上げる手だってある」と願う。
聖火リレー出発点招致の炎が燃え続けている。石巻市は東日本大震災の最大被災地だ。関連死を含め約4000人の死者、行方不明者は自治体としては最大であり、今なお同公園内には仮設住宅が立ち並ぶ。聖火リレー出発地誘致委員会を作り、「被害の大きかった石巻がスタート地点になれば、復興五輪の象徴になる。いろんな方の応援や支援をいただいて、どうにか達成したい」と意気込む。
夢プランがある。64年東京五輪から52年となる16年10月10日にセレモニーを再現しようと試みている。当時の最終走者が使用した聖火トーチを借り、点灯。上空に五輪のマークを描き、感動と興奮をよみがえらせようというものだ。「松島基地にブルーインパルスがいるのでぜひ働きかけたい。石巻の空に五輪を描いて、世界へアピールしたい」。貸与を受けて以降、男子ハンマー投げ金メダリスト室伏広治(41)が訪問。聖火台磨きと点火を行うなど、発信を続けているが大きなイベントで印象を残したい狙いだ。
新たなテクノロジーも盛り込む。東北大大学院農学研究科・多田千佳准教授らのチームが開発したバイオメタンガスを試用。生ゴミなどを再生エネルギーとして利用するバイオガスが採用されれば、五輪史上初となる。実用化に向けて炎の色などを調整している段階だが、宮城県を挙げて招致に動きだしている。

- 東京五輪 開会式 最終聖火走者の坂井義則さん 1964/10/10
伊藤会長は言う。「震災の時に全国、世界中から応援をもらった。恩返しができるとしたら、そのタイミングだと思うんです」と。新国立競技場がバタバタしているのならば、被災地に残す道はないか-。鎮魂と復興のシンボルとして希望の炎をともすために、聖火台はその時を待っている。
◆聖火台が貸与された経緯 14年2月、「聖火リレー出発地・聖火台誘致委員会」が発足。4月、委員会メンバーが森喜朗組織委会長と面会、聖火リレー出発地・聖火台誘致の要望書を提出。9月、競技場を管理する日本スポーツ振興センター(JSC)が貸与を決定した。10月10日に国立から取り外された聖火台は12月に同市に移された。15年6月に点火した際は点火装置をレンタル。2日間で約100万円もかかったため、今年3月6日の点火イベントではバイオメタンガスとともに東北大が開発したものが試用された。
(2016年3月30日付本紙掲載)
【注】年齢、記録などは本紙掲載時。



