男女とも上位2人が20年東京オリンピック(五輪)の代表に内定する「マラソン・グランドチャンピオンシップ(MGC)」が15日、明治神宮外苑発着で行われる。出場基準を満たした男子31人、女子12人のトップ選手が“一発勝負”で競う。騒動も巻き起こった複数選考会の中から選ぶ従来の方法から転換。重圧の中、実力を発揮する「調整能力」が問われ、順位がすべてという客観性も確保された。その初めての試みとなるレースが実現するまでの舞台裏に迫る。

■実現までの舞台裏


日本勢は男子6大会、女子3大会連続メダルなし
日本勢は男子6大会、女子3大会連続メダルなし

どん底から始まった。16年リオデジャネイロ五輪で男子は佐々木の16位、女子は福士の14位が最高。かつての強豪国の面影はなく、男子は6大会、女子は3大会連続でメダルに手が届いていない。惨状を脱すべく生まれた代表選考が、MGCだった。

16年12月3日 福岡国際マラソン前日。日本陸連強化プロジェクト第1回の会議があった。選考の指針などを話し合う場でリーダーの瀬古利彦は言った。「ぽっと出の選手はダメだ」。たまたま選考会だけ走った者でなく、五輪までに最低でも2度のマラソン好成績を求めた。

当時、一発選考案はなかった。既存の複数選考会の「マイナーチェンジ」が既定路線。選考会が複数あれば露出は増える。収入面からみても崩せない“聖域”で、強化の現場からは手を出せない空気があった。だが、世界での不調が響き、マラソンを取り巻く市場の価値が落ち込んでいたのも事実だった。


16年12月18日 日本陸連の強化スタッフの結婚披露宴が行われていた。事業担当者と前強化委員長の伊東浩司に呼ばれたマラソン・長距離を統括するディレクターの河野匡は「今までのやり方とは違うやり方を考えてもいいみたいです」と伝えられた。伊東の妻は96年アトランタ五輪の選考会で、日本人最速の記録を出しながら落選した鈴木博美。もし同じようなことが東京を前に起きたら、影響は計り知れないとの危惧(きぐ)もあった。この時、不可能と思われていた“一発勝負”のプランが動きだす。


16年12月19日 日本陸連の年間表彰式があった。2回目の会議。男子の坂口泰、女子の山下佐知子の両五輪強化コーチも含め「一本化」が確認された。みな「東京五輪の重圧の中では、競争して選ばれないと戦うことは難しい」という認識は一緒だった。その後、河野が中心となり「安定性」「強いメンタル」「調整能力」など、五輪の大舞台で活躍するために必要な要素を絞り込む。3人を、新設レースで代表に決める素案が作られた。


17年1月29日 大阪国際女子マラソンの朝。素案を河野は日本陸連の専務理事・尾県貢にぶつけた。返事は「3枠決めるのはできない」。新設レースで3枠全てを決めると、五輪前年のマラソンは東京五輪代表選考と無関係になる。既存大会にも考慮し、1枠を残すことを提案された。似たタイプの選手しか選ばれないとの懸念もあった。

受け入れた河野は残り1枠を「調整能力の不安を超越する世界トップレベルのマラソンスピード」を持つ選手にあてることを考えた。それが「ファイナルチャレンジ」。男子は2時間5分49秒、女子は2時間22分22秒を切った最速選手を選ぶというものだ。


17年2月4日 別府大分マラソン前日。河野が中心となり、約10年分のデータ、ランキングなども参考に17、18年度の大会から、新設するレースに出場するためのタイムなど、条件が暫定的に決められた。

主要大会の主催者側には、五輪「選考会」から「予選会」に“格落ち”となっただけに、最初は難色も示された。だが、意義を強調し続け、最終的には「日本のマラソンが盛り上がっていくためなら」と同意を得られた。五輪に近い環境でレースをするため、警視庁にも協力を要請。男女合わせて、たった43人のマラソンのため、都心を通行止めにする交渉もまとめた。

さまざまな思いが曲折し、自国開催の五輪という旗印があったからこそ整った前代未聞の戦い。今後も開催されるかどうかは、分からない。日本マラソン史に刻まれる1ページとなるのは間違いない。(敬称略)【上田悠太】


東京五輪マラソンコースとMGCコース
東京五輪マラソンコースとMGCコース

◆MGC コースは東京五輪とほぼ同じで、新国立競技場が完成していないため、明治神宮外苑の「いちょう並木」発着となる。それ以外は五輪本番同様、浅草や銀座、皇居など都心の名所を巡る。男子は午前8時50分、女子は同9時10分スタート。男子はTBS系列、女子はNHK総合で生中継。残る1枠は日本陸連が指定した「ファイナルチャレンジ」対象大会で、設定記録に到達した記録最上位が選ばれる。該当者がいない場合はMGC3位が五輪切符を得る。


■男子展望

大迫、設楽、井上、服部の「4強」を中心に争われそうだ。2時間5分50秒の日本記録を持つ大迫はスピードとスタミナを兼ねる。ただ、記録は関係ないレースだけに、他選手からマークをされる存在だ。設楽は7月のゴールドコーストで2時間7分50秒と好調。18年ジャカルタ・アジア大会金メダリストの井上は暑さに強く、耐久戦が予想されるMGCにも向く。服部は課題の終盤で粘れるかが、ポイント。トラックで実績がある佐藤も好調。37キロ以降に上りが続くだけに3代目山の神こと神野も中盤で粘れば、一発ある。

※年齢はMGC実施日
※年齢はMGC実施日

■女子展望

混戦模様だ。マラソン出場は1度だけながら、5000メートルや1万メートルで代表経験を持つ鈴木は大事な場面で外さない。スピードもあり、暑さにも強く、優勝を争う存在だ。バキバキの腹筋がトレードマークの松田は昨年9月のベルリンで2時間22分23秒。実力十分で、あとは調子が合うか。日本歴代4位となる2時間21分36秒の自己記録を持つ安藤は一時期の不調を乗り越え、復活の気配がある。前田穂、小原の天満屋勢は調整能力が高い。トラック含め5大会連続五輪を目指す37歳の福士も充実し、22歳の一山も勢いがある。

※年齢はMGC実施日
※年齢はMGC実施日

●松野「私を選んで下さい」

<あいまい基準&主観…>従来の複数ある選考レースの結果を比較し、代表を選ぶ方式は、基準のあいまいさ、選ぶ側の主観が入ることから、過去に何度も騒動を引き起こしてきた。

92年バルセロナ五輪で女子最後の1枠を巡る選考は社会的な議論を巻き起こした。大阪国際2時間27分2秒で2位の松野明美、前年の世界選手権に2時間31分8秒で4位の有森裕子が争う図式。代表発表前、松野は「私を選んで下さい」と異例のアピール会見までした。しかし、選出されたのは、タイムは劣ったものの、実績が評価された有森で、五輪本番では銀メダルだった。

96年アトランタ五輪へ向けた女子は残り2枠を3人でもめた。北海道を2時間29分17秒で制した有森、名古屋を2時間27分32秒で優勝した真木が選ばれ、大阪国際で2位も、記録は選考レース最速の2時間26分27秒だった鈴木は落選した。

15年世界選手権の女子は横浜国際Vの田中と大阪国際3位の重友が争った。タイムは18秒遅かったとはいえ、選考レースで唯一優勝を果たした田中が外された。代表発表会見で増田明美さんが「これでいいんでしょうか?」と疑問を呈するなど、異論が続出した。