【復活への道】日産自動車野球部を追う 工場閉鎖、人員削減・・・活動再開の現実/1

昨年、休部から復活した社会人野球の名門・日産自動車野球部が、正念場となる2年目のシーズンを迎えました。今季、新入社員3人が入部し、現在25人で8月の都市対抗野球大会出場を目指していますが、会社は世界7工場の閉鎖や約2万人の人員削減など、計5000億円の削減を柱とした経営再建計画を進行中。選手も所属する生産の主力工場だった神奈川・横須賀市の追浜工場も閉鎖予定で、人員の配置転換、転籍、転職などリストラが進んでいます。今季限りで名門・パナソニック野球部も休部の方針。企業スポーツが会社業績の影響を受けるケースが目立つ中で、日産自動車野球部は経営再建、復活のシンボルとなれるのか―。会社、従業員、選手たちが情熱を燃やす「復活への道」を追いました。

4回に分けて連載します。

プロ野球

◆日産自動車硬式野球部1959年(昭34)に創部。社会人野球の「花形」と称される都市対抗野球大会には29度出場、社会人野球日本選手権大会には16度出場。都市対抗野球では65年に初出場し、84年に初優勝、98年に2度目の優勝を飾った。準優勝も3回。日本選手権でも優勝経験がある名門チームだが、業績不振のコスト削減の一環で2009年から2024年まで活動を休止し、2025年1月から活動を再開した。ユニホームには会社のシンボル「ブルーバード」(青い鳥)がデザインされている。現在、部員数は25人。神奈川県・横須賀市に本拠を置く。OBには阪神などで活躍した池田親興投手、川尻哲郎投手、オリックスなどで活躍した川越英隆投手(現ソフトバンク投手コーチ)、広島で活躍し侍ジャパンコーチも務めた梵英心内野手らプロ野球選手を多数輩出。

会社が厳しい時に必要なのか

2027年度末、日産自動車は経営再建計画の一環で、生産を支えてきた重要拠点のひとつである追浜工場を閉鎖する方針を出した。

現在、追浜工場の車両生産部門で働く約2000人の従業員の雇用に影響が出るといわれている。

日産自動車九州への移管、統合に伴う異動など、職場、生活環境が変化する。生活拠点を移すことができない従業員は、退職を余儀なくされるという厳しい現実もあった。

ネガティブな話題ばかりが先行する組織の中で、従業員が野球部へ「希望の光」を求めたのは、自然の流れだった。

しかし、厳しい現実と直面する人々もいる。野球部長で追浜工場の人事部長を務める桝本心さん(53)は、複雑な思いで、従業員へ寄り添う。

追浜工場の一角には野球部の歴史が展示されている(左が桝本部長)

追浜工場の一角には野球部の歴史が展示されている(左が桝本部長)

日産自動車本体だけでも従業員2万人を超える大企業。ひとつの方針に対して、全員が同じ方向へ向くとは限らない。野球部の活動再開は、ハレーションを生んだのも事実としてある。

光と陰―。

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野球

平井勉Tsutomu Hirai

Kumamoto

1967年、熊本市生まれ。1990年に入社し、プロ野球の西武、ヤクルト、巨人などを担当。米ロサンゼルス支局時代には大リーグを担当し、野茂英雄、イチローらを取材した。
野球デスク、野球部長、経営企画本部長などをへて現職。著書「清原和博 夢をつらぬく情熱のバッター」(旺文社)「メジャーを揺るがす大魔神 佐々木主浩」(旺文社)がある。