柔道男子100キロ級代表のウルフ・アロン(24=了徳寺大職)はオリンピック(五輪)決勝日だった30日、17年世界選手権、19年全日本選手権制覇に続いて夢の「3冠」を達成するはずだった。しかし、昨年12月に右膝半月板の手術に踏み切ったため、五輪延期は準備期間確保を理由に追い風と捉えた。一時期悩んだ胸毛問題も解決し、自分らしさを貫いて1年後に備える。

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日本柔道8人目となる「3冠」の偉業達成は、来夏にお預けとなった。今年3月に五輪延期が決まると、ウルフは冷静に1年後へ気持ちを切り替えた。「手術の影響もあり、正直ラッキーだった。ただ、1年で強くなれないので、今後はどれだけ弱くならないかが重要になる。負けない準備を追求したい」。現在の右膝半月板の回復は8割程度で、今夏開催では万全の状態で臨めなかった。

「3冠王」へ異常なほどの執念を持つ。東京都葛飾区出身。米国人の父と日本人の母を持ち、地元開催の初五輪は特別な思いがある。幼少期から尊敬する東海大の先輩で男子代表の井上康生監督(42)と、重量級担当の鈴木桂治コーチ(40)へ感謝を体現する舞台と位置づける。死闘を幾度も繰り返した3冠王の2人の活躍が、自身の柔道人生に大きく影響した。競技を始めて18年経過しても、スマートフォンには小学生の頃に撮影した井上監督、鈴木コーチとの2ショット写真を保存する。

「五輪は自分のためだけではない。憧れの井上先生や鈴木先生と日本代表にいることが今でも不思議だし、日本武道館で歴史に名を残す瞬間を2人にはしっかりと見届けてもらいたい。必ず3冠王となって、100キロ級が花形である時代を取り戻すことが自分の使命だと思っている」

近年は、トレードマークの男らしい胸毛に悩んだ。17年世界選手権では、直前にバリカンで胸毛を刈り、強みのスタミナを生かして初優勝。約15キロ減量し、胸筋や腹筋などの肉体美を披露する目的で実行した。験かつぎとして、翌18年世界選手権でもそったが5位に沈んだ。「結果と胸毛は関係ない」と受け止めた一方、繊細な性格で女性ファンから「胸毛だけはそらないで」と書かれた手紙をもらい真剣に悩んだ。ある日、周囲から「胸毛をそると生やすのに力が必要らしい」と聞いて、19年全日本選手権では体力温存の意味も込めてそらずに臨んだ。初の全日本王者の称号を手にして3冠に王手となった。決断した。

「柔道は格闘技でもある。(スピードとパワーを兼ね備えた猛者が集結する)100キロ級では容姿の強さも大切。胸毛はむしろ武器で、見た目で威圧するのも戦術の1つになる。五輪では名前の通り、ありのままのワイルドな感じでいく」

姓のウルフを表すように覚醒した24歳のオオカミは、1年後の東京五輪という獲物を狙う。【峯岸佑樹】

◆ウルフ・アロン 1996年(平8)2月25日、東京都生まれ。6歳で柔道を始める。千葉・東海大浦安高時代は高校選手権、金鷲旗、高校総体などで優勝。東海大時代は15、16年講道館杯を連覇。17年世界選手権優勝。19年全日本選手権優勝。世界ランク6位。左組み。得意技は大内刈りと内股。趣味は料理。家族構成は妻。181センチ。