僕は自分が試合に出られなくてもチームメートに主張することが多々ある。それは文句とか愚痴とかそんなことではない。たとえ自分がけがをしてチームに全く絡めていなくても、練習前や練習試合前に僕の感じている意見を堂々と伝える。これは初めてJリーガーになったJ2水戸ホーリーホック時代からも同じで、ベンチにすら入れなかった選手が偉そうに選手や監督、スタッフの前で意見を述べていた。

それを聞いた人がどう思ったかは定かではないが、その瞬間にそこの空気が変わったことは間違いない。僕が伝えることはほとんど同じで、それは2つある。「何となくになるな」ということと「覚悟とは何か」である。それは僕の経験からしか語れない角度で話をしているので、その言葉には魂が宿っていると勝手に思っている。

先日、現在公開中の映画「三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実」をみた。そこでは三島由紀夫氏と東大生の激しい主張が交わされていた。日本人は主張が苦手で意見交換をすることなどあまりないと思われがちだが、この映画を見てそれは根底から覆された。主張という言葉の独り歩きにより、その場で力を持っている人の声の大きさですべてが決まるイメージがあるが、この映画では、全くそんなことはなかった。

学生からの主張を三島由紀夫氏はしっかりと受け止め、決して見下したり、適当にあしらうことなく正面から向き合っていた。これをみて僕は何を感じたかというと、僕らが行っている主張は感情であって目的ではないということだ。だから主張し合うことが苦手なんだと感じた。

感情で主張し合えば、その場にいる権力者が強いに決まってる。しかし、この場での主張が成立していたのは、三島由紀夫氏も東大全共闘も目指すべき目的が同じだったということ。それは「より良い日本にしたい」ということだ。そのゴールへの道順(手段)がお互いに違うからこそ主張が必要なのだ。

大事なのは目的であって手段ではない。しかし、目的達成のためならどんな手段でもいいかというとそういうわけではない。自分の信念に基づき、大切なことを失わないようにする。そのために言葉ひとつひとつに意味を持たせていた。そして、議論をする前に必ず共通認識となる前提を持たせている。この準備があるかないかで主張が成立するかどうかは全く違うものになる。

僕らサッカーチームの目的は何か?果たしてそれは勝利なのか?それは単純に勝てばいいということではない。クラブが持っているアイデンティティーを大切にし、どのように勝利を目指すかが大切なのだ。

それと同時に、選手おのおのがどんなスタイルで選手生活をしていくのか。そして、どんな人でありたいかもとても重要になる。三島由紀夫氏の主張は常に自分の信念と日本の未来とをつなぐ言葉でできていた。それは東大全共闘と同様に日本の未来をつくるのは我々だという熱量をもって言葉を紡いでいた。

チームがうまくいっているときもそうでないときも、僕らは目の前のことだけを見ず、そもそも何のためにこのクラブは存在し、なんのために自分はサッカーをしているのかを考える必要がある。自らの存在意義を他者のルールの中で存在させるだけでなく、自分が生きていく中のマイルールを確立させることが大事にもなってくるのだ。そのルールは信念に基づいているかどうか。こうやって、自分と未来をつなぎながら主張を交わし合う、この映画の時代をうらやましく思った。

それと同時に、その時代がつないでくれた今を、次の未来に残していくのは我々の役目だと感じた。サッカー界の発展も社会の発展も、今この時代にいる1人1人のつける足跡によって変わってくるのだ。改めてその自覚と、自分の人生に本気になる覚悟を持つべきだと思わされた。(ニッカンスポーツ・コム/サッカーコラム「0円Jリーガー安彦考真のリアルアンサー」)

◆安彦考真(あびこ・たかまさ)1978年(昭53)2月1日、神奈川県生まれ。高校3年時に単身ブラジルへ渡り、グレミオ・マリンガとプロ契約も、けがで帰国。03年に引退も、18年3月に練習生を経てJ2水戸と40歳でプロ契約。出場機会を得られず19年に旧知のシュタルフ監督率いるYS横浜に移籍。開幕戦のガイナーレ鳥取戦で途中出場し、ジーコの持っていたJリーグ最年長初出場記録(40歳2カ月13日)を上回る41歳1カ月9日でデビュー。175センチ、74キロ。